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植民地科学と医療:ロックフェラー・ミッション

Colonial Science and Medicine: Rockefeller Mission

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

2.  植民地科学と医療:Colonial Science and Medicine

2.2  ロックフェラー・ミッション:Rockefeller Mission

海外をこえた医療援助の通史では、 ロックフェラー財団が1916年から1922においてセイロン(現スリランカ)で鉤虫つまり十二指腸虫 (hookworm)の駆除計画をおこなったのを嚆矢とする。その計画は、人口調査、感染源を探索する衛生調査、糞便および血液検査、罹患者に対する治療 と便所の設置から構成されていた。

セ イロンでの応用に先立ち、米国南部でのプロジェクトが先行しておこなわれた(1909-14年)。米国の南部は、南北戦争以来、北部に よる経済的な従属状況が続いており依然として低開発状態にあった。ロックフェラー財団は慈善事業として南部の衛生状態の改善を重要な課題の一つにした。こ の計画では、1902年に設置された財団の一般教育理事会が南部において当初、白人と黒人のための教育プログラムに着手したのを皮切りに、農業プロジェク トに受け継ぎ、やがて十二指腸虫駆除プログラムへと展開させた(Brown 1976:898)。駆除プログラムはアメリカ南部の70万人を対象とした。十二指腸虫の「撲滅」は成功しなかったものの、一部の地域では「制御」が可能 になり感染率が低下したりした。第三世界で展開される感染を予防する保健態勢のモデルはアメリカ南部において産声をあげたのである。

ところで、なぜ十二指腸虫であった のだろうか。当時の新聞記事は、南部の開発が遅れているのは、南部の綿花労働者たちが「怠惰」であった が、その理由がこの寄生虫によるものであると述べ、動物学者による「怠けの病原菌」の発見がなされたと報じている(Brown 1976:898)。多数の寄生虫による感染は、低タンパク質症および鉄の代謝を損なう貧血を引き起こすと考えられているが、米国南部の低い生産性の原因 として寄生虫が考えられたのである。

ロックフェラー衛生委員会は米国の南部でおこなった5年計画をもとに、新しい基金である国際保健委員会(International Health Commission)を1913年に創設した。これは、十二指腸虫症対策と公衆衛生の二本立てからなる。この計画は、大英帝国圏内の近隣諸国であるセイ ロン、マラヤ(現マレーシア)、エジプト、西インド諸島、ラテンアメリカ各国、およびフィリピン、中国などのアジア諸国でおこなわれた。中国では北京協和 医学院が創設された。1914年には黄熱病対策の計画が、1915年からはマラリア対策計画が、公衆衛生普及員の訓練と共に始まった。これは医療援助の際 に使われる手法の基本的な原型がこの時代にすでに完成されているということである。

また日本の公衆衛生院の設立にさいしてロックフェラー財団は基金を拠出している。財団は低開発国の公衆衛生問題に1910年代の中ごろか ら始まるが、この時期に日本の医学教育家長与又郎ほか3名を視察のため米国に招聘している。その際、長与はわが国に公衆衛生技術官の教育機関の寄付を財団 に求めた。しかし日本政府は文部省所轄の東京帝国大学附属伝染病研究所があったために一度はこれを辞退する。ところが1930年に内務省は財団に対して要 請をおこない計画が再開された。満州事変などの日米関係の悪化にもかかわらず、計画は進行し37年に公衆衛生院と都市保健館(共に東京)および農村保健館 (埼玉)が完成された。ロックフェラー財団がそれまで建設や設備等で負担した経費は1934年には総額で百万ドル以上になるといわれる。両保健館の業務は 現在の保健所の活動のモデルとなるもので、衛生思想普及のための社会啓蒙と疾病の社会的管理にあった(野辺地 1988)。しかし、当時はすでに1938年の国家総動員法の公布を目前にして、内務省主導による国民の衛生はかなり統制のとれた国家管理下にあった(日 本公衆衛生協会 1983:257-275)。

ロックフェラー財団による支援計画には、熱帯病対策を通して低開発国における生産性を高め、慈善事業を通して米国に対する排外的な敵意を 鎮めるとともに、かつ現地の人びとを工業化に従順な人間に育てることが意図されており、それは内部文書でも確かめられている。ブラウンによると、コスタリ カにおける財団の十二指腸虫キャンペーンの1918年の財団の報告書には次のような文言がある。「コスタリカの2つのプランテーションの320名の労働者 が十二指腸虫感染より治癒し、生産性が劇的に増加したことで、この治療の経済的価値は立証される。ひとつのプランテーションはほとんど50パーセントの作 付面積が増加したが、余計な労働無しに、またより少ない耕作コスト負担によるものである。各々の労働者はより低い労働単価で、しかし増加した労働強度によ り、より強くより長く働くようになり、多くの給金を受け取った」と(Brown 1976:900)。ロックフェラー財団は、フィリピンにおいて中央政府に“反抗的”なモロの人びとに「文明の恩恵」を享受してもらうために病院船を派遣 している(Brown 1979:124)。このような活動は結果として公衆衛生事業を通して低開発地域の人びとの文化的自律性を低下させることになった。財団の活動は1920 年代前半には、60カ国以上の地域で10年ちかくの活動をおこなっていた。しかし、プログラムは必ずしも成功したとは限らなかった。セイロンでは便所を利 用する習慣は根付かなかったし、ラテンアメリカでは米国による内政干渉として現地の人びとから否定的な評価を受けていた。この教訓がやがて財団をして文化 人類学理論の社会への応用にかんする関心と向かわせることになる。

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リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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