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批判の時代:理想と現実

The Age of Criticism: Ideal vs. Reality

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

4.  批判の時代:The Age of Criticism

4.1  理想と現実:Ideal vs. Reality

S・ポルガーは1962年に世界各 地の保健問題への解決のために、おもに医学研究と人類学・社会学を中心とする社会科学を総合する研究の 枠組みを提唱した。その論文のなかで、彼はコミュニティと国際的な視野という2つの局面を基礎において、保健における実践とむすびつける調査の考え方につ いて広範に論じている(Polgar 1962)。その翌年C・ヒューズは論文「無文字諸社会における公衆衛生」において、人びとにとって健康が公的な目標になるという公衆衛生の理念を普遍化 し、地球上のさまざな民族や社会においてその理論が実現すべきものであることを、多数の文献の検討を通して主張した。つまり、前工業化社会では呪術的およ び経験的(科学的)予防行動やそれに関する文化体系というものがあり、それらを理解することを通して現地での公衆衛生のプログラムが改善されると考えた。 彼は次のような4つの一般化を導き出した(Hughes 1963:116-174;Landy ed. 1977:232)。

1.どんな社会でも公衆衛生に関する信条がみられるが、それには呪術の要素も経験科学要 素も両方含まれる。

2.どんな集団でも公衆衛生の状態は、その集団の生活様式と相互に関係している。

3.「未開社会」では人びとの健康は集団そのものと連続性があり社会そのものと深く関 わっている。そして人びとは、社会を病気やその脅威から守ってくれるものとみなしている。

4.人びとの健康は生活状況全体を反映する関数である。

膨大な文献を基礎にし、公衆衛生や社会医学のなかでの人類学者の役割を明確に主張したポルガーやヒューズの論文は、戦後から一貫してきた 人類学の知識を地元あるいは国際的な舞台で行われる医療援助に反映させようとする理論の総決算であったと言えるだろう。

しかし、このような理想主義的な見解は、60年代中葉から始まる社会科学および医療への批判の声にかき消されてしまう。1965年に米国 でキャメロット計画が発覚し国際的スキャンダルとなった(Horowitz 1967)。キャメロット計画とは、アメリカ陸軍がその前年に計画立案した先進西欧国およびアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど31カ国を対象とした、 総額で600万ドルを計上した大規模な社会科学研究であった。この調査計画の目的は、各国の革命勢力の動向をさぐり、内戦の過程や将来における予測可能性 を研究するものであった。ベトナム戦争下の米国では、共産ゲリラによる国家の転覆を目的とした内戦の分析が活発に行われており、米軍の対反乱 (counter-insurgency)と称される作戦に利用されていた。大量の社会科学者を動員するキャメロット計画は、軍隊が社会科学を問題対処能 力のある科学として期待していたことをあらわしている。キャメロット計画は、アメリカ人類学会をはじめとする社会科学研究者の間で激しい抗議の声がおこ り、結局挫折する。これを機会にアメリカ人類学会は1965年に「調査研究の問題および倫理に関する委員会」を設置している(ガフ 1974:151)。ベトナム戦争に対する抗議運動もみられ、「憂慮するアジア研究者委員会」(Committee of Concerned Asian Scholars:CCAS)は1969年に米国のアジア政策に反対すべく結成された。

1960年代を通しての反体制運動にとってF・ファノンの議論は重要である。1954年にはじまるアルジェリア植民地解放闘争に後に身を投じ た精神医学者F・ファノンは『ある革命の社会学』(1959)のなかで「医学と植民地主義」について論じている。ファノンによれば、西洋医療の運用は宗主 国と植民地においては、まったく異なる社会システムとなる。植民地状況においては、宗主国出身の植民者は、暴力的抑圧とパターナリズムにもとづく慈善を もって支配をおこなう。植民地状況では、西洋医療は治療装置として機能するのではなく、支配のための装置になると糾弾した。また現地人が西洋医療の文脈の なかに放り込まれるとき、社会的政治的な権力構造の中での隷属を強いられるとともに、彼らの文化的な表現をまとって病気が訴えられるとも指摘している。し たがって西洋医療は、どこでも普遍的な価値をもつは限らない。植民地解放のための医療とは、宗主国が持ち込んだ医療とは異なる意味づけがなされなければな らない。また『地に呪われたる者』(1966)では、植民地状況が精神障害を生みだし、植民地戦争はそれをさらに憎悪させる。この病理の根本治療を実行で きるのは植民地状況の消滅にほかならないと主張する。

このような植民地解放という思想を通して近代医療の社会的文脈を批判的に考察する行為は、病者の役割行動を文化の違いによって説明する医 療人類学と通底する。しかし、医療人類学者は疾病行動を文化に根ざした行動としてしばしば本質主義的な説明をつけて満足し、その説明の枠組み以上のことを 議論しない。それに対して現象の解釈や説明に終わらず、実践へと繋げるところがファノンのラディカリズムである。このような発想は、健康の政治経済学 (Political Economy of Health)を批判的に分析する領域や、次に述べるような「開発原病」を報告しその原因を分析する研究領域と多くの共通した特徴をもっており、いわば 「疾病の社会的起源」ともいうべき学派の先駆けになっている。ファノンは、植民者による医療援助は、援助する側とされる側という図式が社会的に再生産され るということを指摘し、それを明確に拒否するという態度表明のあり方を示した点できわめて重要である。




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★ クレジット:「健康の開発」史——医療援助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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