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健康の開発:開発人類学の勃興

Health Promotion and Health Development: The Rise of Anthropology of Development

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

5.  健康の開発:Health Promotion and Health Development

5.1  開発人類学の勃興:The Rise of Anthropology of Development

冷戦構造のもとで一貫して成長をつ づけてきた海外援助の方向が変化するのが、石油危機のおこった1973年以降である。東西対立よりも、 南北の経済格差の問題が深刻化するようになった。低開発国の援助要求は増加する一方なのに比べて、先進開発国の援助能力は低下してきた。資本主義開発国に おける低開発国援助の理念は、相変わらず経済発展を通して厚生の向上にあった。しかし、開発国側の経済条件の悪化は、結局援助する側をして、援助理念の見 直し、費用−便益分析をはじめとする援助効率の検討など、新しい戦略を開発せしめるにいたった。世界銀行総裁(1968-81)であったR・マクナマラが 1973年に「総合的村落開発」(integrated rural development)を提唱したナイロビ・スピーチをその代表例としてみよう。マクナマラは、村落における農業生産を高め、飢餓を放逐することを目標 にあげた。貧困の放逐は、人間の基本的ニーズの達成のために不可欠であり、これを具体化する方法はほかならない村落の生産性の向上である(Escobar 1995:160)。[→マクナマラの思想]

生産性の向上と人道的な観点から現地の人びとの保健および衛生状態の改善は欠かせない。このような援助の理念はすでに見てきたようにロッ クフェラー財団をはじめ米国の慈善団体がおこなってきた医療援助における理念とさほど変わりはない。そして、その理念を実行するために「科学的」知識を動 員して「効率よく」計画を実行するという方法論が求められたことも同様である。世銀のアプローチは技術指向で、従来のプロジェクトの仕組みそのものをより システム化したものに変えた。そして保健施策における、技術指向のあらわれは、後述するようにプライマリヘルスケアにおける「選択的」戦略の提唱に見てと れる。

世銀をはじめとする米国の開発論における技術的な発想は、貧困そのものを“可視化”しようとしたことに典型的にあらわれる。貧困を「国民 総生産」、「国民所得」、「識字率」、特定の疾患の「罹患率」などで多角的に表現しようとした。貧困の可視化が同時に招来したものは健康の可視化であり乳 幼児死亡率はその代表的な指標になった。米国開発局(USAID)は、「社会的健全さの分析」(social soundness analysis)、実現の可能性や適合性、プロジェクトの社会的インパクトなどをもって計画を立案したが、そのような分析に多数の人類学者を投入した (Escobar 1991)。開発局内でフルタイムで働く人類学者は、1974年当時は1人しか過ぎなかったが、77年中頃では22人、80年では50人以上になった。ま た短期の契約にいたっては100名以上いたといわれる(Hoben 1982:359)。

そして70年代以降応用医療人類学の論文が急増する。援助の効率を定量化することにもっとも適していたのは1950年代から徐々に台頭し てきた行動科学である。行動の変化をいくつかの変数をとることで定量化できるこの手法は、人類学の領域にも多大な影響をあたえ、論文の量産にも貢献するこ とになった。








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★ クレジット:「健康の開発」史——医療援助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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