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健康の開発:援助現象の多元化

Health Promotion and Health Development: The Diversification of Aid

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

5.  健康の開発:Health Promotion and Health Development

5.3  援助現象の多元化:The Diversification of Aid

1980年代後半から現在までの国 際政治における最大の出来事は、冷戦の終結とそれにともなう政治構造の変化である。援助は今日では援助 国側の利益や国策を誘導する外交手段(ヤストモ 1986)だけでなく、構造調整にもとづく経済政策を被援助国に要求し国際的分業への参画を要求するまでになっている。そのため援助はより柔軟に運用され るようになり複雑な利害が絡むようになった。また内発的発展や持続的開発などがかつてのように対抗的な戦略としてではなく、制度的な開発のなかにも“技術 的に”取り込まれるようになってきた。

先行する時代の援助に比べて、援助計画が多様化し、人口・栄養・女性などプログラムそのものの細分化、そして援助そのものが局地化してゆ く傾向を指摘することができる。この傾向を促進したのは、援助に関わる非政府組織(NGO)の増加にあるといえる。また政府開発援助や国際機関もNGOと 密接に連絡をとるようになってきた。すなわち援助の多様化とグローバル化が同時進行しているのである。開発国側の国民にとって国際協力や援助が身近なもの になり、自発的な参加が容易になってきた。このような状況を理解するためには、援助がどのような組織を通して行われてきたか、ということに注目しなければ ならない。

歴史を振り返って、医療援助を行ってきた団体、すなわち低開発国(地域)にやってくるセクターについて整理してみよう。それらの団体は4 つのカテゴリーに分けられる。すなわち(1)慈善団体、(2)政府機関、(3)国際機関、(4)非政府機関、である。

まず、開発国の慈善団体の典型例はロックフェラー財団であり、第二次世界大戦以前からその先駆的で主導的な役割を担ってきた。その次に大 きな勢力となったのは米国開発局、日本の国際協力事業団(JICA)などの政府機関である。政府開発援助(ODA)は国際協力において歴史的にも資金的に も大きな比重を占めてきた。マーシャルプランや戦後補償など2カ国間でおこなわれてきた援助のもっとも基本的な型を担ったのが政府機関である。この援助パ ターンは資金や技術の流れは開発国から低開発国への一方的な流れを形成するという点で、宗主国から植民地への援助パターンをそっくり踏襲したものである。 第3番目の援助団体は、国連の諸機関、世界保健機関(WHO)、世界食糧機関(FAO)、世界銀行などの国際機関である。これらは戦前に国際連盟での援助 が実施されたがその規模は非常に小さなものであった。国連などの国際機関は第二次大戦後に、冷戦構造のなかで援助合戦がエスカレートするなかで調整役とし ての機能が成長し、60年代以降、第三世界の発言権が強まるとともに国際協力のより強力な調整機関としての役割を果たすことになる。4番目に急成長をつづ けているのが非政府組織(NGO)である。宗教団体を嚆矢とするNGOの歴史は極めて古いが、援助活動の自由裁量の大きさにおいて、それまでの団体の活動 の欠点を補うものとして期待もされ、実際にその活動母体も内容も極めて多様になってきた。NGOは個々の団体の活動は比較的小規模で成果の評価を出しやす く、また柔軟な対応ができる。この団体の数や資金の総額は年々成長してきている。

以上の4つの団体は医療協力の歴史において次々と役割が入れ替わってきたということではない。むしろ次々と重層的にこの領域に参入してき たのだ。これは医療援助のパターンが歴史的を経るごとに多様化していることを意味する。したがって、現在医療援助を社会学的に分析をおこないその背景に単 一のイデオロギーを見つけ出すことは無益である。援助の理念や方法においてもはや普遍的で規格化されたものの理論的影響力は少ない。この多様化には医療援 助に従事する応用人類学者の活躍も一役買っている。1970年代後半から米国で応用医療人類学のタイトルで学位をとった多くの人類学者が国際機関やNGO で働くようになり、80年代中期にはアメリカの人類学のPh.D取得者の半数以上が大学や研究機関ではなく連邦政府、州政府、非営利団体、コンサルタント 会社などに就職しているからである(Hill 1984;AAA 1987)。

現在の深刻な問題として難民や内戦が発生したり、低開発国における都市への人口集中や貧富の格差のエスカレートなどによって、局地的な問 題が急におこることがあげられる。局地的な民族紛争や内戦による新たな健康への脅威への組織的な救援(relief)が医療援助の活動として重要視される ようになってきた。この種の問題は、これまで政府機関や国際機関が取り扱ってきたような低開発国への医療援助という枠組みでは対処できなかったものである が、それらを医療援助の枠組みのなかに組み込もうとする動きもある。他方、援助が肥大化するなかで、政府開発援助や国際機関における不正や腐敗など、それ までの大規模な組織がもつ構造的欠陥も指摘されている(Hancock 1990)。医療援助はもはやODAが一般化してきたような形式では対処することができないのである。

それとともに人びとが抱く健康の概念も変化してきた。健康は万人共通の天賦の権利という枠組みは変わらない。しかし、世界的なレベルでは それを維持することが不可能であり、絶え間のない努力で部分的にしか達成できていないことを人は不断に意識せざるをえない。もはや宙に浮いた中立な健康を 議論することは意味をもたない。「保健の政治経済学」派を中心とする研究者の論調は、いよいよ病気が社会的起源をもつものだとし治療を社会の変革であると した19世紀の細菌学者で衛生改革家のウィルヒョウの精神へと回帰しているかのようだ。人類学の内部では、健康の達成が病気や衛生の不備という直接の原因 によって妨げられているという以上に、それを保証する社会的不平等や政治的問題によって引き起こされており、実践への関与を主張する動きが60年代末以来 の復興をみせている(cf. Sheper-Hughes 1995)。

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★ クレジット:「健康の開発」史——医療援助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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