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「健康は開発できる」という確信

The conviction that “health can be developed”

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894

Anti-cholera Inocution in Caltutta in March 1894, Simpson, W. J. (William John), Sir, 1855-1931.

池田光穂

6.  結語=結論:「健康は開発できる」という確信:The conviction that “health can be developed”

医 療援助に対して人類学が関与するとき、人類学者は相反する2つの立場からそれに関与してきた。ひとつは、人類学が経験した知識を技術と して未来の「健康の開発」に積極的に関与した立場である。これは本稿が焦点をあてた「応用医療人類学」とよばれる研究領域の確立をみるにいたった (Hill 1984;Heggenhougen and Draper 1990)。もうひとつは、医療援助を批判的にとらえてゆく立場である。批判的医療人類学あるいは「保健の政治経済学」——批判という言葉を後につけるこ とがより言葉のニュアンスを正確に伝える——と呼ばれるこの立場はさらに、マルクス主義、従属理論、そして文化批判という3つの潮流にわけてみられること ができる(Morgan 1987)。この応用と批判の対立は医療援助だけにとどまらず、ひろく開発現象をめぐってさまざまな局面でおこってきたことである。応用と批判(=理論) というこの二分法の伝統は医療人類学をして、ほとんど対話のできない2つのカテゴリーを生み、依然として分裂したままになっている。この応用人類学のアポ リアとも言うべき問題にいままでに、「新統合」や「批判的実践」など無数ともいえる調停の試みがおこなわれてきただろうか(eg. Johannsen 1992)。

応 用人類学は早い時期に、変えようとする相手の文化を本質主義で規定するという見方、つまり清水(1992)のいう「永遠の未開文化」観 をある意味では早い時期に放棄していた。その意味ではR・ファースのひそみに習い、応用人類学は「由緒正しい啓蒙の所産」を実践する道を選択してきたの だ。1930年から40年代にかけて応用(実用)人類学は、人類学における理論的な成果を現地への関与に効果的に流用することを目的として生まれてきた。 経済開発や慈善を目的としていたり国家目的を遂行しようとしていた財団や政府と、このような理念をもちはじめた応用人類学者の利害が一致し、戦前において はじめて援助に人類学者が投入されることになった。これが出発点である。しかし、対象になる人びとを「永遠の未開」から解放した応用人類学は、とって返し たように自らを援助する側の道具的科学と規定し、相手をつねに援助されるものとして取り扱うということを始める。

第 二次大戦後、援助は国家目的を遂行するために次第に肥大化してゆく。そのなかで人類学者は現場で何がおこっているかについて、自らの社 会理論にもとづいて解釈をおこない、後には積極的に援助のモデルを提供するにいたった。解釈が中心的だった50年代までの時代から広い範囲でさまざまな社 会批判が登場した60年代を通して応用人類学はより自己反省にもとづいた傾向を身につけるようになった。プライマリヘルスケアの導入も相まって70年代を 通して人類学者は医療援助により深く関与するようになってきた。その間、オイルショックや世銀を中心とした援助理論を背景に、医療援助においても効率性が 要求されるようになってくる。

1980 年代末以降は政府や国際機関という巨大な組織だけでなく機動力のあるNGOなどが医療援助に参画するようになってきた。その内容に は、人口問題、栄養問題、母子保健、女性のエンパワーメント、疾患別の感染症対策、精神衛生、慢性病対策さらには環境問題なども含まれる。「援助」という 言葉にかわって「協力」を冠することが流行するのも、物資や善意の一方通行を忌避したい現代人=援助主体の感覚の表れである。援助団体の多元化と援助内容 の多角化によって、医療援助ということばで援助の内容を把握することすら現在では困難になってきた。

他 方、日本の医療協力において第一線の医療関係者の多くは現場でさまざまな活動をおこなっているものの、それらの活動が十分に公開され個 々の関係者の経験が社会的に共有されているとは言いがたい状況にある。さらに、全国の大学の医学部や医科大学においては医療人類学はおろか人文社会科学系 の授業すら軽視されている状態である。ましてや医療援助の歴史について講じられることはほとんどない。このような人たちが、日本の巨大な経済力を背景にし たODAを初めとする医療援助に従事せざるを得ない状況に立たされている。日本熱帯医学会や日本民族学会では、医療人類学をはじめとする応用人類学をいか に効果的に医療援助にリンクさせるかという議論が最近つとに多くなったが、それは端緒についたばかりである。本稿で論じた医療援助に関する欧米の長く苦い 経験はわれわれのもとにはまだ、届いていない。

冒 頭の問いを再び発してみよう。医療援助の発展に人類学がどのような役割をはたしたかについて問うことの意義はなんであろうか。それは啓 蒙主義の延長上にあった応用人類学を歴史のなかに位置づけ、応用人類学の社会的意義と限界を改めて探究することにほかならないのだと。


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★ クレジット:「健康の開発」史——医療援助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

リ ンク

引用参考文献

クレジット:「健康の開発」史——医療援 助と応用人類 学、文学部論叢(地域科学編),第49号,pp.41-72, 熊本大学文学会,1996年2月

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