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盤古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盤古(『三才図会』)

盤古(ばんこ、英語:Pangu)は中国神話で、天地開闢の創世神とされる。道教に盤古真人・元始天王とも称される。陰陽道盤牛王とも称される。古代中国における世界起源神話の一つであり、古典籍および民間伝承にその神話伝説を見ることが出来る。

盤古の神話は『三五歴記中国語版』や『述異記』などの古文献に記録・採録されていたことがわかっているものの、断片的な情報が残っているに過ぎず、内容も様々に変容している。そのため他の中国神話同様に元来どのように語られていたかには不明確な点がある。『五運暦年記』や『三王曆』には、最初の盤古は「竜首蛇身」や「竜身人首」の神で、後に巨人とされた。

概要

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盤古が生まれたとき、天と地とは接しており非常に窮屈で暮らしづらかった。盤古は一日一日その背丈を伸ばしてゆくと共に天を押し上げて地と離し、一万八千歳のときに天地を分離したとされる[1]

天地を分離した盤古についての記述が確認できる古い書物は、の時代(3世紀)に成立した徐整による神話集『三五歴紀』である。そこでは、天地ができる以前の、の中身のように混沌とした状態から盤古が出現したと記されている。また、4世紀後半に書かれた『述異記』あるいは『五運暦年記』(『繹史』収録)には、天地を分離した後に盤古は亡くなり、その死体の各部位から万物が生成されたと伝えられている[2]

盤古の部位左目右目四肢頭・五体脂膏・皮膚[注 1]骨・歯牙精髄
『述異記』での記述日月-四岳・五岳[注 2]江海---草木-----
後代に設定された生成風・雲大地の四極五岳-河川草木田畑金属玉石人間

盤古の死後にその体から万物が生成されたという伝説は、もともとは死後に生成されたというかたちでは無く、自然に存在する日や月、海や河や草木が神の体であると考えていた神話(燭陰などの、目をひらくと夜が明けるなどとする伝承)が存在し、それがやがて思想などの進化などから変化して形成されたものではないかとも考察されている。『述異記』での記述の時点では、盤古の死後にそれが生成されたと示す話と、盤古の死に言及せずに盤古の体の一部と自然物との結びつきを示す話が混在してる点がそのあらわれである[1]

盤古、天地を分け離す(『廿一史通俗衍義』)

明の時代の『開辟衍繹通俗志伝』では、斧とノミを使用して天地を切り拓くこととなり、天地開闢のときにとったとされる行動が、より具体化された[5]。地方に伝わる民間劇などにも道具(開天斧)を用いて天地開闢をしたとされる内容を持たせた盤古の登場するものがある[6]

神話の中での役割

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盤古は天地創造の神であり、時系列で考えれば人類創成の神とされる伏羲女媧よりも前に存在したことになる。しかし、少なくとも文献による考察によれば盤古の存在が考え出されたのは、前述のごとく呉の時代(3世紀)であり、『史記』(前漢紀元前1世紀)や『風俗通義』(後漢2世紀)に記述がある伏羲・女媧など三皇五帝が考え出された時期よりも後の時代ということになる。

天地を押し上げて分離させる点がマオリ神話のタネ・マフタに、体からさまざまなものが創造される点がインド神話のプルシャに類似していることなど[1]が指摘されているほか、インドシナ半島の神話伝説にも盤古神話と類似した内容のものが確認されている。天地万物のつくられ方の類似から、インドに伝わる『リグ・ヴェーダ』の原始巨人プルシャが伝播したものだ、という学説もある。

盤古は天地開闢により誕生したとされるが、各神話では天地開闢そのものがいかにして行われたについては明確な記載がない。日本神話では伊邪那岐伊邪那美による国産みの後にさまざまな神々が生まれているが、盤古神話では彼が特に国造りをしたという記述はない。ただし、盤古の左目が太陽に、右目が月に、吐息や声が風雨や雷霆になったという要素は、『古事記』や『日本書紀』において、伊邪那岐が左目を洗った時に天照大神(太陽)が、右目を洗った時に月読(月)が、鼻を洗った時に須佐之男命(雷)が生まれたと語られていることと共通性が見られ、盤古のような世界巨人型神話の痕跡であると見る向きもある。

道教文献での盤古(元始天王)

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東晋葛洪が編纂したとされる初期の道教文献『枕中書』(『元始上真衆仙記』)[7]には、盤古は元始天王(げんしてんのう)として登場し、原初神・最高神の一柱とされる(ただし、この時期の道教における最高神の主流は太上老君であった)。その内容は以下のようなものである。

天と地がまだ分かれていなかった時、未だ形を成さざる混沌が鶏卵(世界卵)の状を成し、その中に天地の精・盤古真人(元始天王)が生まれ、玄色の太空を遊んだ。この混沌の状態は四にわたって続いた。天形は巨蓋の如く、龍が雲の中を回旋するよう、天地を生成せしむるを待っていた。更に四劫を経て、天地は分離し始め、相距ること三万六千里となった。天の中心にある玉京山の山石から血が生じ、血は水を生じ、水は元虫を生じ、元虫は浜牽を生じ、浜牽は剛須を生じ、剛須はを生じた。更に二劫を経て、玉京山の積血の中から太元玉女中国語版(太元聖母)が生まれた。元始天王と太元聖母は一劫にわたり結合し、扶桑大帝たる東王公(三皇の天皇と同一視される)と西王母を生んだ。その後、地皇人皇大庭氏伏羲神農祝融五龍氏などの伝説の王もその末裔となった。

元始天王は、後世の道教の主神・元始天尊(げんしてんそん)の原型の一つとされる。六朝時代に至り、陶弘景の『真霊位業図』では元始天尊を第一中位に列し、分離された元始天王は、太上老君と共に第四中位に列せられた。

元始八子ら

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宋代の神霄派の道教文献『高上神霄玉清真王紫書大法』では、太元が未だ生ぜざる時、「大梵之祖」(元始天王)は混沌の胎を凝り、「混虚」と称するを産み、世界を開闢した。玉京山にて、元始天王と玉清神母中国語版は、扶桑大帝たる南極長生大帝を筆頭に八子を生んだ。

  • 長子 南極長生大帝君(神霄玉清王)。
  • 次子 東華帝君(青華大帝君)。
  • 三子 掌命大君(蓬萊霊海帝君)。
  • 四子 護命大生君(西元大帝君)。
  • 五子 明皇大君(東井大帝君)。
  • 六子 非卿大君(清都大帝君)。
  • 七子 南極大君(清霄大帝君)。
  • 八子 北台大君(中皇司命君)。

元始天尊との関連性

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原型説のほか、宋代の道教文献『太清金闕玉華仙書八極神章三皇内秘文』には盤古は元始君(元始天尊)が四万劫を経た後の化身とされ、元代の道教文献『玉清無極総真文昌大洞仙経』には盤古は混沌氏(元始天尊)が九万九千九百九十億万劫を経た後の尊称とされる。また、宋代の道教類書雲笈七籤』には盤古は「盤古真人」および「神人氏盤古」の異名をもって太上老君・元始天尊の弟子と記され、元代の神仙伝記集『歴世真仙体道通鑑』には盤古は「盤古先生」および「盤古大先生」の異名をもって太上老君の二つの化身と記されている[7]

なお、明代の道教文献『天皇至道太清玉冊』には、三皇の天皇は盤古および元始天尊と同一視され、「玉清聖境元始天尊盤古氏」と称される。清代の神仙伝記集『歴代神仙通鑑』には、盤古は元始天尊の前身であり、治世を成し遂げた後に、身体を捨て、空に遊ぶ霊魂は「元始」と号し、すなわち「玉清聖境無上開化首登盤古元始天尊」であるとされる。

日本の文献での盤古(盤牛王)

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日本における盤古についての記述には、陰陽道の文献のひとつである『簠簋内伝』(ほきないでん)[8]あるいは雑説や説話を多く収録している文献『榻鴫暁筆』に見られる盤牛王(盤牛大王とも。『榻鴫暁筆』では盤古王[9])の話が確認出来る。また、能楽の文献である『八帖花伝書』などにも土用の間日に関する記述の起原として類似傾向の説話が書かれている[10]素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合されていたり、仏典など各種の説話と混成されたりしており、中国神話を直接とったものではない特殊なものであるといえる[11]。その内容は以下のようなものである。

天は初めにはその形が無く地もまたその姿かたちを持ってはいなかった。その様子は鶏卵のように丸くひとかたまりであった(宇宙卵生説)。この天地の様態のことを「最初の伽羅卵」という。この時、計り知れない大きさの蒼々たる天が開き、広々とした地が闢いた。そして、これら天地に生まれた万物を博載することの限りなさは想像すらできない。盤牛王はその世界の原初の人であった。その身の丈は十六万八千由旬であり、その円い顔を天となし、方形の足を地となした。そりたつ胸を猛火とし、蕩蕩たる腹を四海となした。頭は阿迦尼吒天に達し、足は金輪際の底獄に、左手は東弗婆提国に、右手は西瞿陀尼国にまで届いた。顔は南閻浮提国を覆い、尻は北鬱単越国を支えた。この世の万物で盤牛王から生じなかったものは一切ない。彼の左目は太陽となり、右目は月となった。その瞼を開けると世界は染明け、閉じると黄昏となった。彼が息を吐くと世界は暑くなり、吸うと寒くなった。吹き出す息は風雲となり、吐き出す声は雷霆となった。彼が天に坐すときは「大梵天王」といい、地に坐すときは「堅牢地神」と呼ぶ。さらに迹不生であるをもって「盤牛王」、本不生であるをもって「大日如来」と称するという。彼の本体は龍であり、彼はその龍形を広大無辺の地に潜ませている。四時の風に吹かれ、その龍形は千差万別に変化する。左に現れると青龍の川となって流れ、右に現れると白虎の園を広しめ、前に現れると満々たる水を朱雀の池に湛え、後ろに現れると玄武の山々を築いてそびえ立つという(四神相応)。また、彼は東西南北と中央に宮を構え、八方に八つの閣を開いた。そして五宮の采女を等しく愛し、五帝竜王の子をもうけたとされる。

室町時代の神道家吉田兼倶も著書に盤古について記述しており[12]、『神道大意』では、盤古王は彦火々出見尊の治世に生まれたと記している[13] [14]

五帝龍王とその子ら

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  • 盤古の第一の妻を伊采女といい、彼女との子供が青帝青龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を春として支配させた。さらに青帝青龍王に金貴女を娶らせ、10人の子を産ませた。これが十干である。
  • 盤古の第二の妻を陽専女といい、彼女との子供が赤帝赤龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を夏として支配させた。さらに赤帝赤龍王に昇炎女を娶らせ、12人の子を産ませた。これが十二支である。
  • 盤古の第三の妻を福采女といい、彼女との子供が白帝白龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を秋として支配させた。さらに白帝白龍王に色姓女を娶らせ、12人の子を産ませた。これが十二直である。
  • 盤古の第四の妻を癸采女といい、彼女との子供が黒帝黒龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を冬として支配させた。さらに黒帝黒龍王に上吉女を娶らせ、9人の子を産ませた。これが九相図である。
  • 盤古の第五の妻を金吉女といい、彼女との子供が黄帝黄龍王(他の写本では天門玉女という女神となっているものもある)である。盤古は彼(または彼女)に一年の内、72日間を土用として支配させた。さらに堅牢大神に黄帝黄龍王を娶らせ、48人の子を産ませた。これが七箇の善日以下の(『簠簋内伝』に記載されている)暦注・節日である。もともと、黄帝黄龍王(天門玉女)と48王子は難産の末に生まれたために、自分らが支配する季節、領地をもてなかった。そのため48王子は男子に変じたり、女子に変じたりと定まるところがなかった。そこで、48王子は自分らの支配領を求め先述の四龍王に謀反を企てた。17日間続いたこの戦によりガンジス河は血に染まったという。そこで諸神らは協議の末、四季のなかから18日ずつを48王子の父(母)である黄帝黄龍王(天門玉女)に与えることに決めたという。

牛頭天王との関連性

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『簠簋内伝』の中で「盤古」を「盤牛」としているのは牛頭天王(ごずてんのう)信仰について言及するために「牛」の字を用いたのではないかと考察されている。京都府妙法院康応元年(1389年)の奥書をもつ和漢の神々の姿を描いた絵巻物があり、天神七代地神五代に次いで、盤古王および五帝竜王、そして牛頭天王の絵が上記のような『簠簋内伝』の内容に極似した説明文とともに書かれている(題簽を欠いており原題は不詳。内容から「神像図巻」と呼ばれている)[8]

妙法院神像絵巻や『榻鴫暁筆』は、この盤古王(盤牛王)を『神在経』という文献に載っている話として記している。『神在経』という文献は確認されていないが、これを見るに、原典は不詳ながら中世の頃から盤古と牛頭天王を結びつける考えがあったと推測される。『簠簋内伝』とは五帝龍王を生んだ妻たちの名や、生んだ子たちの数などに差異があるが、妙法院神像絵巻と『榻鴫暁筆』では一致が見られ、『神在経』あるいは『神在経』を引用した何かを資料として書かれたものであることは言える[8][9]

五郎王子ら

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八帖花伝書』などに見られる盤古王の子供たち。四人の兄たちが四季をそれぞれ支配しているが末の五郎王子には領分が設けられなかった。そのため母が剣を与えたが、その剣をめぐって兄弟たちが激しく争ったとされる。物語の舞台は天竺とされている。

  • 太郎王子 春を支配する。
  • 二郎王子 夏を支配する。
  • 三郎王子 秋を支配する。
  • 四郎王子 冬を支配する。
  • 五郎王子 兄弟間の戦の結果、四季の土用と滅日・没日・大敗日、そしての期間を支配することとなる。

これ以外に、(かまど)の神をまつる『土公神祭文』でも、盤古大王の子供たちが争い、五郎王子が竈の神となったという展開が見られる[10]

関連事象

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超大陸と恐竜

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盤古大陸

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20世紀以降の中国語では、古生代後期から中生代初期にかけて存在した超大陸パンゲア大陸」を「盤古大陸簡体字: 盘古大陆)」とも表記している。ここでの「盤古」は、"Pangaea" の音訳であるとともに、中国語における「盤古」という用字の発音および意味を考慮した意訳にもなっている。また、この地質学用語と中国神話上の神名「盤古」との関連性は、かつてパンゲア大陸のアジア地域であった現在の雲南省において21世紀初頭に新種の恐竜化石が発見された際、学名に神名「盤古」が冠されることにも繋がった。

盤古盜龍

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Panguraptorパングラプトル)は、2007年に雲南省の中生代ジュラ紀前期(前期ジュラ紀)の地層から化石が発見され、2014年記載された新の小型恐竜(小型獣脚類)である(コエロフィシス科に分類される)が[15]、その名の構成要素 "Pangu" は、この生物が棲息していた当時の大地であるパンゲア大陸 (Pangaea) が中国語では「盤古大陸」と呼ばれていること、および、その「盤古」が神名「盤古」と同じ音と綴りであることにちなみ、化石産出地である中国の極めて古い神である「盤古拼音: pán)」の名と、俊敏で獰猛な小型獣脚類に対して用いられることの多いラテン語普通名詞 "raptor" との組み合わせで、[ zh: Pangu(中国の固有名詞、神の名)+ la: raptor(= A thief, robber, plunderer. 盗人、強盗、略奪者)]という命名意図をもって造語されたものである[16]。中国語ではこれが漢訳され、恐竜に定番の「龍」の字を添えて「盤古盜龍簡体字: 盘古盗龙)」と呼ばれている。

脚注

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注釈

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  1. 皮膚に生えていたうぶ毛などをさすと考えられる[3]
  2. 秦や漢での俗説として『述異記』には、盤古の頭が東岳・腹が中岳・左臂が南岳・右臂が北岳・足が西岳なのであるという説を記している[4]

出典

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  1. 1 2 3 出石 (1943), pp. 20–22, 71–74.
  2. & 鈴木 (1993), pp. 104–107.
  3. 伊藤 & 松村 (1976), p. 11.
  4. 出石 (1943), p. 23.
  5. 孫樹林「盤古の天地開闢と道家思想」『島根大学外国語教育センタージャーナル』第8巻、島根大学外国語教育センター、2013年3月、49-60頁、NAID 110009766707
  6. 廣田ら (1997), p. 191.
  7. 1 2 呂宗力 (2019). “盤古與中國的開闢神話”. 文化雜誌 (澳門大學澳門研究中心) (105).
  8. 1 2 3 村山 (1981), pp. 330–340, 410.
  9. 1 2 『榻鴫暁筆』 (1992), pp. 36–37.
  10. 1 2 村山 (1981), pp. 398–399.
  11. 脇田 (1991), pp. 4–7.
  12. 廣田 律子「中国起源の神 -盤古-」『国際経営論集』第37巻、2009年、127-136頁、ISSN 0915-7611
  13. 神道叢説』 「神道大意」国書刊行会 p.11(国立国会図書館)
  14. 国民思想叢書. 神道篇』 加藤咄堂 編 国民思想叢書刊行会 p.20
  15. You et al., 2014.
  16. You et al., 2014,
    "Etymology. The genus name is from “Pangu” (Chinese), well known in Chinese mythology as the first living being and the creator of all reality, and “raptor” (Latin), meaning “thief” or “robber”.".

参考文献

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辞事典
書籍、ムック
雑誌、広報、論文、ほか

関連項目

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