鳴瀬川
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| 鳴瀬川 | |
|---|---|
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野田橋より北東を望む | |
| 水系 | 一級水系 鳴瀬川 |
| 種別 | 一級河川 |
| 延長 | 89[1] km |
| 平均流量 |
28.2 m3/s (三本木橋観測所 2000年) |
| 流域面積 | 1,133 km2 |
| 水源 | 船形山(宮城県) |
| 水源の標高 | 1,500 m |
| 河口・合流先 | 石巻湾(宮城県) |
| 流域 |
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鳴瀬川(なるせがわ)は、宮城県の中央部を流れる一級河川[2]。鳴瀬川水系の本流である。幹川流路延長約89キロメートル[1][2]。加美郡加美町、色麻町、大崎市、遠田郡美里町、宮城郡松島町、東松島市を通り太平洋に注ぐ。
地理
[編集]鳴瀬川の源は宮城県と山形県の境界となっている奥羽山脈の船形山北麓である[3]。そこから漆沢ダムを経て、概ね東に流路を変える。中流域では大崎平野の南部を流れ、北側を並行して流れる北上川水系の江合川(荒雄川)と共に、宮城県北部の穀倉地帯を潤す。美里町東部において徐々に南東に転じ、東松島市浜市と東松島市野蒜の境界から石巻湾に注ぐ。
下流部では、鳴瀬川と吉田川が背割堤(分流堤)を境に並行して流れている。この並行区間の長さは約9キロメートルである。
歴史
[編集]明治時代に入って河口の野蒜地区で野蒜築港を核とする国直轄の航路化事業が着手された[2]。これにより1890年(明治23年)に北上川と阿武隈川が、東名運河、北上運河、貞山運河(貞山堀)で結ばれた[2]。しかし、野蒜築港については1884年(明治17年)の台風で突堤が被害を受け、財政的問題もあって工事は中止となり、野蒜築港跡として遺構が保存されている[2]。
背割堤は、吉田川との合流地点をより川下に移し、鳴瀬川から吉田川への逆流を防ぐ目的で造られた[5]。背割堤の築造は1925年(大正14年)から1941年(昭和16年)にかけて本格的に行われた。それ以前は、鳴瀬川が増水した場合、鳴瀬川から吉田川や鶴田川へ逆流が発生し、品井沼周辺で氾濫が起こっていた[6]。
名称の由来
[編集]大まかに2つの説がある[7]。
支流
[編集]脚注
[編集]- 1 2 "流域及び河川の概要について"(宮城県)2026年1月10日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “鳴瀬川水系の流域及び河川の概要”. 国土交通省水管理・国土保全局. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ "鳴瀬川"(コトバンク、『日本歴史大系』『百科事典マイペディア』『世界大百科事典』『日本大百科全書』の項目より。)2026年1月10日閲覧。
- ↑ 村山貞之助「色麻柵について(上)」、『仙台郷土研究』第1巻9号、1931年、318頁。
- ↑ "鳥瞰撮・いしのまきドローン紀行 (29)鳴瀬川・吉田川(東松島市小野)"(石巻かほく)2025年11月23日付記事。2026年1月10日閲覧。
- ↑ "吉田川・高城川 命と生業を守る流域治水推進計画"(大崎市)17頁、2026年1月10日閲覧。
- ↑ “鳴瀬川水系の流域及び河川の概要(案)”. 国土交通省河川局 (2005年12月12日). 2019年9月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 河川コード表 (PDF) 国土交通省、2011年3月現在
- ↑ 一級河川鳴瀬川水系多田川ブロック河川整備計画 平成13年7月 宮城県 (PDF)

