美ヶ原高原美術館
まだ暗いうちに、美ヶ原へ向かう。
早起きというより、夜の続きのような時間。期間限定の早朝開館の4時に間にあうように、美ヶ原高原美術館に着いた。

車を降りて最初に体が受けたのは、空気の粒子。
息を吸うと、肺の奥が細くなる。自分の中のいろんな細胞が、慣れない空気に刺激を受けているのがわかる。


彫刻が、輪郭だけになって立っている。近づくにつれて、形が戻り、影が戻り、ようやく「作品」になる。歩くたびに、世界がゆっくり現像されていくようだった。

写真を撮りたいのだけれど、ファインダーをのぞく気になれない。まあ、急がなくてもいいか、自分の目で見てからにしよう。
5時。
靄(もや)の向こうが、うすく色を持ちはじめる。オレンジと呼ぶには弱く、白と呼ぶには温かい。
なんて呼んだらいいかわからない色に、視界がじわじわと浸されていった。

日の出は、思っていたよりも静かだった。
決定的な瞬間があるわけではなく、気づいたら、さっきまで灰色だった草が金色になっている。


まぶしい。

朝の光の強さに、自分の感覚(言語)がうまく追いつかない。

光を待っていたかと思えば、いつの間にか追いつかれたり。
そうしているうちに、それでも朝はちゃんと来る。









美術館を出るころは、まだ8時前。
一日が、まるごと手つかずで残っている。


王ヶ頭
美術館を出て、車で数分ほど走って高原の駐車場へ。車を降りると、空気はまだひんやりしていて、さっきの靄(もや)がそのまま続いている。


王ヶ頭ホテルまで、歩いていく。
風が草の上を渡っていき、草の面が動くのが見える。風の音は、後から追いかけるように届いてくる。
一本道を歩きながら、高原を目で聞いているような。


山の天気は変わりやすい。数秒で、景色が別のものになる。白く沈んでいた山の形が、ふいに立ち上がり、明るくなったと思って足を止めるころには、次の雲がもう影を連れてくる。
霧が走り去る、という表現が決して誇張ではない速さで(もっと近い言葉があるはずだけれど)、光の境目が地面をすべっていく。



王ヶ頭ホテルに着いて、桃のジュースを飲んだ。冷たい甘さが喉を通っていって、そこでようやく全身に重たさを感じる。自分がずいぶん歩いていたことに気づいた。
体はいつも、後から報告してくる。

帰りは、来た道をそのまま戻る。
一度歩いた道だから、もう撮るものはないだろうと思っていたのに、何度も立ち止まった。
すぐそこに牛がいて、柵があって、小さな花も咲いている。来るときは霧の中に隠れていたのだろう。


行きにはあったはずの木が見当たらない。
向こうに2本だけ離れて立っていたのを確かめて、帰りに撮ろうと思っていたのに。
霧の幕が上がって、同じ道が別の場所になっていた。


変化のはやさと、予測のつかなさ。
好奇心とうれしさが混ざって、私の心がはしゃぐ。
次に来る景色が、何かわからないから目を離せない。目を離さないから、変わっていく瞬間に気づける。わからなさが、そのまま楽しさの方へ傾いていく。
気づけたのは、こちらが止まっていたから。
歩く速度を落としていたから。
だから、数秒の違いが見えた。
自分の内側がゆっくりものを見ているときにしか、世界が動いていることには気づけない。

高原でなくてもいいと思う。
日が少しずつ移っていく午後でも。
信号を待つあいだに、空の色が変わっていくことでも。
足が止まるだけの速さは、暮らしのあちらこちらにある。


