自分の半生(社会人時代①)
前回までのおはなし↓
短大を卒業してからはスーパーの食品レジのアルバイトをしながら、通信の大学に編入学した。
元々ひとつの事にしか集中できないタイプだったため仕事がメインの生活になり、学校の勉強やレポート提出が疎かになる→結局大学は1年もしないうちに中退した。
2010年1月末頃から知り合いの人に医療事務を勧められたのを機に、医療事務の通学講座に通う。
もちろん、アルバイトも両立させながら。
ただ、それを期に職場の人との人間関係がギクシャクし、ストレスで過食に逃げるようになる(この頃からストレスを感じると無茶食いに走りがちになる)。当時3〜4キロは太ったと思う。
医療事務の通学講座は終了し資格は取得できたが、職場の人との間に出来た亀裂は、完全には修復できなかった。
そんな私にまたも思いがけない出来事が訪れる。
2010年5月の事だった。
虫の知らせか、二度と弾かないと決別したはずのピアノの蓋を遂に開けてしまったのだ。
再び音楽の世界に入り浸り、家族に迷惑がられても無我夢中でピアノを弾き続けた。
同年の7月に食品レジのアルバイトを辞め、医療事務の仕事を探した。
お金と迷惑をかけて取った資格は全く役にたたずで不採用通知の嵐…結局派遣で、オンボロ工場に就業した。
周りには色々言われたが、仕事は楽しく順調だった。
この工場の社員になりたいと思い毎日汗水流した(3年勤めたら社員になれる制度だったので)。
ところが、この工場にお勤めして1年半が過ぎた頃、会社都合で派遣切りに遭い別の派遣先に移る事になる。
その派遣先も3ヶ月で契約終了となり、また別の派遣先に就業したが、その派遣先に「月海さんのスピードでは追いつかない」との理由で僅か2日でクビになる。
そのショックでヒキニートになり、心の慰めであるピアノにひたすら打ち込む。
長らく独学でピアノや音楽の勉強に励んでいたが、独学だけの限界を感じたうえ、独学だけだとどうしても自己流になってしまっていた。
→母の紹介で近所のピアノの先生に師事する(因みにこの先生には8年ほどお世話になりました)。
ずっと自己流で練習してきたせいか、奏法、拍感、リズム、アーティキュレーション等、どれもグチャグチャで、全て一から見直すことになった。
それでも、自分にとって音楽が生きがいだと感じ、プロのピアニストになりたいとひたすら勉強と練習に励んだ。
コンクールにも何度か挑戦したが、コンクールが合わないのと実力がないからか…結果は散々だった。
貯金があまりなかったのと、このままニートではいけないと思い、バイトを探したが見つからず…母の手を借りてわかものハローワークに通う。
そこで「一度精神科の検査を受けたらどうか」と言われ、精神科でWAISⅢの検査を受けた。
結果、軽度の広汎性発達障害と診断された。
のちに障害者手帳を取りA型事業所に就業する。
音楽の夢も捨てきれずにいた私は、働きながらアマチュアピアニスト活動を始める。
2014年の9月に名古屋で30万ほど掛けて立派なホールでの初リサイタルをした。400人のキャパに対し、観客は僅か20人ほど(しかもほとんど身内ww)。←もうちょっと身の丈を考えろよ怒!と今の自分笑。
やり方は無謀で破天荒であったものの、この経験が私の原点になったと思う。
その後も公共施設のロビーコンサートの出演や、自主企画のコンサートを行なった。音楽関係の友人や知り合いも出来たので、その人たちの関係のイベントにも参加した。
次回に続く↓↓
