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伊達政宗の初陣は、父・輝宗の未決着へ入る日だった

初陣は、自分の戦の始まりだと思われがちです。

けれど、政宗の初陣は、そうではありませんでした。

彼が足を踏み入れたのは、父・輝宗が終えられなかった戦の続きです。

初めての戦場は、白紙ではなかった

天正九年、1581年。

相馬義胤が、伊達と関係の深い亘理氏を攻めたことを受け、輝宗は援軍として動きます。

米沢から伊具郡の角田へ向かう父の傍らには、若い政宗がいました。

その後、父子は相馬方の小斎城に近い矢ノ目へ布陣したとされています。

これが政宗の初陣です。れた晴れ舞台ではありません。

政宗が初めて戦場へ出るより前から、伊達と相馬の争いは続いていました。

丸森、金山、小斎。

伊具郡の城と土地をめぐり、伊達には取り戻したい理由があり、相馬には退けない理由がありました。

政宗が戦場へ来たから、戦が始まったのではありません。

すでに続いていた戦の中へ、政宗が入ってきたのです。

父の戦に、息子が入る

輝宗にとって、伊具郡をめぐる戦は初めてではありません。

政宗が生まれる前から続き、自ら何度も兵を出してきた境目でした。

その戦を、輝宗は息子に見せました。

もちろん、輝宗が戦場で何を語ったのか、詳しい言葉が残っているわけではありません。

けれど、父の隣に立つだけで伝わるものはあります。

伊達がどこで争ってきたのか。

相馬がなぜ簡単には退かないのか。

城を一つ動かしても、争いが終わるとは限らないこと。

そして、家を継ぐとは、父が終えられなかったものまで受け取ること。

政宗の初陣は、父から教えを受ける場というより、父が背負ってきた現実の中へ入る場だったのではないでしょうか。

初陣で受け取ったもの

初陣は、若者にとっては最初の戦です。

けれど、家にとっては最初ではありません。

政宗が初めて立った場所には、すでに父の判断がありました。

伊達家の過去がありました。

相馬との因縁がありました。

土地を守ってきた者たちの事情がありました。

若い政宗が受け取ったのは、敵を前にする高揚だけではありません。

自分が伊達の家に属しているという、逃れにくい事実です。

初陣とは、自分の戦を始める日ではない。

父が終えられなかった戦を、自分の身体で引き受ける日だった。

矢ノ目の土は、政宗が来るより前から踏み荒らされていました。

若い政宗は、その上に初めて自分の足跡を重ねます。

けれど、その戦が自分のものになるのは、まだ少し先です。

* * *

続けて読むなら、

「輝宗が初陣で政宗に見せたのは、勝ち方より『退けない理由』だった」

へ。

政宗の初陣を一語で置くなら、

始まり/引き継ぎ

どちらでしょう。

理由はなくて大丈夫です。

次は、父・輝宗が戦場で見ていた「退けない理由」を読みます。

このnoteでは、完成した独眼竜ではなく、父・母・家臣・敵・土地の中で、伊達の棟梁へ近づいていく若い政宗を追っています。

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