幽世畸人伝―伴久筆記― 其之七【浮利と筆】
序.
朝は勧進、昼は乞食。
利に浮かれ名はなく徳もなく、罷り通るは声ばかり。
貪婪とは、かくも自在なふりをする。

一.
——朝。
それは大抵、烏どもの囀りより始まる。
「ぎゃーてー、ぎゃっぎゃ、はらぎゃーてー」
殊に、我が筆庵へ集う念仏烏どもは明け六つよりこの調子である。
なにやら真言にも似て、いっそ浄財を寄せるべきか拙はいまだ判じかねる。
ありがたき経も、烏にかかれば煩いばかり。
されどこればかりは性分ゆえ、やはり烏は烏。
黒き獣の尾がゆらり。
黒き獣が念仏烏を眺めてはひと鳴き、なにやら尾を燻らせておる。
「これこれ文太郎、あの者らの勧進、邪魔立てするでない。」
拙は火鉢の灰を掻き、めざしを炙りながら我が主を諫める。
ぱち、ぱち。
ぎぃこら、ぎぃこら。
炭のはぜる音に合わせて、また別の風物詩のお出ましである。
ぶらり男。
今朝も自らの首を縄で括り、ぶらりぶらり。
まこと、日課に励む姿は感心なこと。
毎朝のこととはいえ、拙とて口が曲がるというのに。
曰く「こうしとると、あの世とこの世のあわいにおるようでしてな。」
曰く「現が恋しいなんてとんでもない。これは悟りの境地いうもんですな。」
嗚呼、無明無明。
いっそ往来へ出て首より偈箱でも提げておれば、
ありがたくも衆生の憐れみを授かり浄土への道も早まろうと云ふもの。
皆、まことに熱心なこと。
拙も微力ながら硯を擦りその行く末を見守っておる故、
ようよう精進めされい。
帳面にひと筆。
成れ果ての行、これを精進と云ふ。
即ち篭で水を汲むが如し。
幽世とは、かくも矛盾に満ちておる。
そんな折、戸板をやにわに叩く音。
節は律動、遠慮はなし。
されど礼儀正しさだけは欠かさぬつもりであるらしい。
「どちらさまにございましょう。」
すると、戸板の向こうより律儀な声。
「拙僧、無為を学びて行脚の身にて候。
幽世に名高き伴久筆先生の筆庵とお見受けいたす。
本日は御筆の導きを請うて、まかり越して候。」
物言いを聞くに、勧進者であろうか。
「名を伺っても?」
「名は持ちませぬ。あまねく衆生の願を筆に乗せ、
導きと慈悲を一筆、授け賜らんことを。」
名を名乗らぬ者にかぎって、話が長い。
いよいよ押し売りの類と見える。
拙は戸の隙間より顔を出す。
「申し訳ない。本日は筆が寝ております故、
またの折にでもよしなによしなに。」
腹いせに鳴り物でも鳴らされてはたまらぬが、案外と静かなものである。
「これはご無礼をいたしました。
先生のお筆は、まさしく衆生を照らす仏の筆。なればまた日を改めて。」
ようやく立ち去ったか。
仏を騙り文人より一筆授かろうなど、なんとも虫のよい話。
どうにも銭の匂いがする坊主であった。
おおかた聖崩れであろう。
帳面の端に、さらりと添える。
【かたなし権兵衛】
袈裟にて仏の名を語る者あり。
語るは信心、授かるは儲け。
見破られては去る潔さ。
坊主も形無し、名無しの権兵衛なり。
名などくれてやるものか。
どれ、そのかたなしの次なる語り口はいかなもの。
二.
八つの刻、筆庵を出て川べりに至る。
川端には物売り、瓦版売り。
声と声がこだまして、浮世の端を賑わせておる。
その中に、ふと聞き覚えのある声がひとつ。
茣蓙に胡坐の札売りがひとり。
みすぼらしき身なりの男が札の束を掲げ、声を張り上げておる。
「さぁさお立合い、これなるは耳守の札、馬耳観音の耳札なり。
懐に忍ばせれば小言は遠ざかり、耳に挟めば姑の陰口も聞こえぬ!」
――やはり、朝の聖崩れである。
語る文言まことしやか、声は川岸の果てまで届かんばかり。
「馬耳」観音とは、また洒落が利いておるではないか。
朝は勧進、昼は乞食とはなんともこれまた熱心な男よ。
拙は歩みを止め、静かに男を見下ろした。
「なんと、朝の聖は川端の口上師でございましたか。」
聖崩れが顔を上げる。
「これはこれは先生。今朝は粗忽を重ね、失礼いたしました。
いやぁ……まこと、ご縁ちゅうものは不思議なものにございますなぁ。」
ご縁などありはしない。拙は川端を歩いていただけである。
拙に請うた一筆も、札の箔付けにする腹であったかと思えば、ぞっとせぬ。
「どれ、その馬耳観音の札とやら、拙にも一枚お授け下さりませぬか。
それで聖崩れの口上が遠ざかるなら、安いもの。」
「はは、これは手厳しい。先生のような高徳のお方には不要と存じます。
されど我々下々は、かような札で信を得るのでございます。」
「信ならぬ銭であろう。」
拙はそう言い捨て、帳面を開いた。
さらり、さらり。
心なしか筆も逆立っておる。
「……もしや、それは。」
「うむ。そなたの貪婪ぶり、まことに結構。」
聖崩れが、わずかに口を歪める。
「はは。先生の筆にかかれば、わたくしめも畸人にございますか。」
「さての。お主次第であろう。
かたなし権兵衛、さてはて何に化けるか。」
筆を走らせる。
【浮利坊】
川端の口上師、名を浮利坊と称す。
利に浮かれ仏を騙り、朝は勧進、昼は乞食。
その舌先に偽りはなく、ただ一心、
羯諦 羯諦 肚貪婪。
川端に拝むその顔は、一銭ごとに自在なり。
聖崩れ――否、浮利坊が合掌し、深々と頭を下げた。
「ありがたや、ありがたや。
先生のおかげで、わたくしめもようやく名を頂戴いたしました。
これで商いも、さぞ見栄えいたすことでしょう。」
「商いで名乗るならば、『浮利坊謹製』とでも銘打つがよい。
拙の筆が保証する、貪婪の極みだとな。」
「ははは、まことありがたきご推挙にございます。」
拙は踵を返し、橋を渡る。
背後では、早くも浮利坊の口上。
「さぁさ、浮利坊謹製、達磨尊の顔札だよ!
かの文人、伴久筆先生お墨付き、顔に貼れば七転八起、
厄も転げる、ありがたーい護符にございます!」
合掌ひとつで仏の顔。
口上ひとつで商い顔。
その肚には浮利の銭。
まこと七転び八起き、達磨もおどろきの貪婪よ。
その肚がどこまで膨れ上がるか知らぬが、
名の行方、しばし流して見届けてやろうぞ。
拙はそっと帳面を閉じ、家路についた。
三.
——夜。
火鉢の灰をならし、湯をひと口すする。
帳面の頁には墨の乾いたあだ名が、静かに鎮座しておった。
浮利坊。
まったく、ああいう男は笑って捨て置くに限る。
仏像を削り節に、説法を出汁に、啜る汁は銭の味。
なりふり構わぬ身の振りよう――
貪婪といわずなんとする。
……されど。
拙もまた、他人の滑稽を筆で煮しめて暮らしておる身。
どちらが正道かなど、知れたものではない。
筆一本で身を立てる拙にとれば、
腹の為なら自在に振舞うあやつのことが、
なにやら羨ましいとさえ思う。
されど、まことの事を言えば貪婪の身にして文人を気取る拙もまた、
文人のふりをする「ふり坊」の類かもしれぬ。
帳面を閉じた指先に、まだ墨の匂いが残っていた。
――了

次回 其之八
