五分後の世界 続編『ヒュウガ・ウィルス』を読む
はじめに
五分後の世界を読み終わった後、二作目の『ヒュウガ・ウィルス』も読みたいと思い、矢継ぎ早に読んだ。
すごく、こわかった。
本当に自分がその場にいて、追い詰められているような気持ちになった。
はじめて読んだとき(中高生ぐらい)にくらべて、こちらのほうがコロナ禍の経験を経たせいか余計にリアリティを感じ、怖く思えた。
目に見えないウイルスの恐怖
コロナ禍の頃、私は仕事である市役所にお世話になっていた。
その頃は関東ではなく、三重県に住んでいたので東京含めた人口密集地の実情がどのようなものかはまったくわからず、テレビを見て日に日に増え続ける各都道府県の罹患者数を見て背筋が震えたのを覚えている。
ウイルスは、目に見えない。
来庁される不特定多数の人たちのだれがコロナ保因者かわからない。
保因者は目に見えない。
それでも対応をしないといけない。
同僚から聞いたが、東京から来た人がコロナウィルスを持っているかもしれないから、窓口対応の際、都市部から来た人と接する時は怖いという共通認識があった。もちろんそういう事を表に出すわけにはいかなかったが、日々見えない恐怖におびえる中、毎日アルコールで手を消毒することは必須で、常に恐怖があった。
コロナのワクチンを打ったとき
コロナで仕事に穴を開けるわけにはいかないので、ワクチン接種のためお休みを頂いてワクチンを打った。接種後、30分ぐらいで身体中が痛くなり、発熱がひどくなった。何も考えられなかった。特に右の太股がずっと傷ついたようにズキズキ痛くて、学生のころにした手術のあと、手首に刺さっていた麻酔の針が動かす度に痛かったことを思い出した。
熱が出る時特有のせん妄的で、べたべたと貼りつく嫌な感じが、ヒュウガ・ウィルスで描写されていた感覚にすごく似ていた。でもこの物語に出てくる感染者たちの姿はもっと悲惨で救いようもなく、私は現場で状況を目撃するキャサリンの目になっていた。それ以上の気持ちで怖かった。
UG兵士
とにかく罹患者の描写含めて圧倒的なスピード感で話が続いていくので、一部気持ちが追い付かない所もあって、そんな中でUG兵士たちの絶望的状況でも冷静に生き延びることだけを考える、という一作目同様の驚異の精神力が読んでいて本当に救いになった。しかし、その強さはUG兵士たちとヒュウガ村に向かおうとして国連軍に相対した際、キャサリンを力ずくで制止した行為と表裏一体でもある。
キャサリンは叫ぶことで自国の兵士を助けようと試みるが、UG兵士に阻止され、声を封じられ、手足の自由も奪われる。UG兵士は、彼女の国の軍隊を殲滅する。その後彼女はUG兵士の許可を得て、ただ“仕事”としてカメラを回す。
戦争は、人の意思を強制的に統一し、最後に“役割”を与える。
その役割とは「仕事」で、そこに個人の情感の入る余地はない。
構造が、物語以上に現実的で怖かった。
しかし、いざ絶望的状況に陥ると人はキャサリン寄りになってしまうのだろうな…とも感じる。
ストーリー展開的には、むしろ、そういうわかりやすい感情移入先としてキャサリンという人物がいるのだろうと思う。この辺り、やっぱり龍さんの小説家としての力というか読ませる力の凄さを感じた。それが自然に感じられるから、余計に。
まとめ
刻一刻と変わっていくイラン情勢、そこから波及していく日常生活への影響、これらのニュースで日々滓のようにたまっていく不安がある。
そんな中で、今私が再び『五分後の世界』シリーズを手にとったことには、意味があったのかもしれない。
大きな不安を抱える世界で、動かないといけない中で、せめて良く生きるために、生き延びるためにどうするのか、自分はどうしたいのか。
我々に問われているのは、そういうことなのかもしれない。

