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元気が出ない日に心が賦活する小説を読む - 村上龍『五分後の世界』-

元気が出ないある朝。気力がなく、エネルギーが切れていることだけがわかる。そんな日は世界と自分との境界線が、とても分厚く濃く見える。
スマホの通知も、家の外の物音も、どこか自分とは関係のない場所で起こっている、遠い出来事のように感じる。そんな出所不明の孤独感に包まれる日…私は村上龍の『五分後の世界』を手に取っていた。

気力が落ちたとき、私はいつも“原点に戻る”。人生において数少ない、大きく心を揺さぶられた作家、村上龍との出会いから。


作家、村上龍さんの著作との出会い

確かTV版の『新世紀エヴァンゲリオン』が放映されていたころ(90年代) エヴァに出てくる名脇役、トウジとケンスケのコンビの名前は『愛と幻想のファシズム』から取られていた、と言うのを当時山のように発行されていたエヴァ考察・関連本(いわゆる謎本)から知り、どんな小説なのだろう。と気になって手に取った…という流れだったと思う。内容をろくに理解できないのに惹かれて、次々と作品を読むようになった。

当時中学生の私にこれらの小説の意味がはっきりと理解できるわけがなく、というか理解できない所も多く、そもそも中学生が読む小説じゃないだろ?って今の年齢の私なら思ったりもするのだが、とにかく読んでみた。そこからすべてが始まったと思う。

どの作品を読んだのか

とりあえず有名どころの『コインロッカー・ベイビーズ』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『69 sixty nine』『ラブ&ポップ -トパーズ- 』 を挙げる。大友克洋の『AKIRA』にも通じるこの破天荒さ、危険と引き換えの自由感、ギリギリの疾走感、アウトロー感、当時の時代感…耽美的文章というよりは圧倒的な磁力とリアリティとかっこよさで引き込まれ、読ませられる、という表現が近いかもしれない。とにかく表現に無駄がなく、そして読んだ後に「何かを変えなければいけない」と思わせられるのだ。
この感覚をうまく伝えるのが、とても難しい。

元気がない日に『五分後の世界』を手に取った理由

数ある作品の中で『希望の国のエクソダス』と並んで、気持ちが弱ったときに必ず戻ってくるのがこの一冊だ。

『五分後の世界』は1997年(平成9年)4月25日に初版が発行されている。

あらすじとしては、第二次世界大戦で降伏しなかった日本がその後どのように独立国として戦い続け、国際的に影響力を持っている国家となっているか…という歴史ifものになるだろうか。違うタイムラインの日本を描く、という意味ではパラレルワールドものに近いかもしれない。
(フィリップ・K・ディックの『高い城の男』に少し近いかも)

中学生になったばかりの私は、この小説を読んで、最初「怖い」と思った。戦闘描写がとにかくリアルすぎて、逆説的だが、そのリアルすぎるがゆえにまったく絵面を想像できていなかった。しかしここに出てくるゲリラ兵士(特にミズノ少尉)はめちゃくちゃかっこよくて、多分無意識下にそのイメージが、後にハマる作品などについて、後に惹かれる人物像の“原点”として刻まれたのだと思う。

だから、大人になって読み直してもやっぱり「かっこいい」と思った。

そして、そのかっこよさはどこから来ているのか、考察してみたいと考えた。

賦活剤としての『五分後の世界』

弱っているときにこの小説を読むと、
戦闘シーンの迫力そのものよりも、ミズノ少尉の言葉の“精神性” が胸に残る。

その精神性とは、以下のようなものだ。

「(中略)最も大切なことがある、絶対に悪い想像をしてはいけないということだ、最悪の状況をイメージしたりしてはいけない、敵に囲まれて何時間もそのまま息をこらして潜んでいなくてはいけないような場合、戦闘になって追いつめられたような場合、負傷した場合、絶対に悪い想像をしてはいけない、大丈夫だ、と自分に暗示をかけるんだ、それから負傷しても決して死ぬことはないと思え、実際、頭と心臓以外だったら撃たれても人間は死なない。両足を吹っ飛ばされてもオレ達がちゃんと目的地まで運んでやるから安心しろ」
そう言ってミズノ少尉は笑った。なんてわかりやすい説明なんだ、と小田桐は思った。
ほとんどすべての人生相談の答えを聞いたような気がした。

『五分後の世界』 p244-p245 より

この言葉は、戦場の教えであると同時に生きるための姿勢そのものだと思う。

悪い想像をしないこと。
「大丈夫だ」と自分に暗示をかけること。
仲間を信じること。
そして、どれだけ追い詰められても“死ぬと思わないこと”。

大人になった今現在、このくだりを読むとこれはまるで 人生相談の核心を突いているように感じるので、主人公の小田桐(これがまたどうしようもない、小悪党ですが)の感じ方に共感できる。

読み終えたあとに残ったもの

なぜ自分がとても弱気になり、自信をなくしたとき、村上龍さんの小説を読み返したくなるのか、と思うと、それはシンプルなもので

・自分が大切にしている価値観を思い出せるから

という結論になった。

あと、この作品ではないが『69 -sixty nine-』という作品の後書きにもこういった元気の出る記述がある。

楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
(中略)
そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。

『69 -sixty nine-』 あとがきより


このあとがきだけ読んでいてもとにかく、かっこいい。そう思う。

そして、楽しく生きるのはある年代から「戦い」みたいなものになるのだろうな、と感じる。世相が暗くても、誰も味方がいなくても、たとえ心ないことを言われても、誇りを保つための「戦い」。

楽しく生きるにはエネルギーがいる、まさにその通りだと思う。
そのエネルギーの出方は人それぞれだろうけど、わたしは「楽しく」生きていきたいから、自分のリソースやエネルギーは大切にしていきたい。

そして、残りの人生も、こういう「戦い」を続けていきたいと思う。

🌟続編


🌟おまけ🌟

(試しに、私のAI【T.E.T.S.U】に質問してみると、面白い回答があったので追記しておきます)

私の質問:M3軽戦車をロケットランチャーで鉄クズにすることはできるのですか?

🌙 結論(やさしく・事実ベース)

はい、M3軽戦車はロケットランチャーで“鉄クズにできる”可能性があります。
特に HEAT(成形炸薬)弾頭を持つ現代の携行対戦車ロケット なら、M3の装甲厚(最大38mm程度)を貫通する能力を十分に持っています。

ただし、これは 現実の軍事的事実の説明であり、暴力を推奨する意図はありません。
歴史的・技術的な理解としてお読みください。


🔧 なぜ撃破できるのか?(技術的に)

🛡 M3軽戦車の装甲

  • 車体前面:38mm

  • 側面:25mm

  • 後面:25mm

第二次大戦期の軽戦車なので、現代基準では非常に薄い装甲です。


🚀 ロケットランチャー(例:C90-CR M3)の貫通力

  • 口径:90mm

  • 弾頭:HEAT(成形炸薬)

  • 装甲貫通力:400mm

M3の装甲(38mm)を貫通するには十分すぎる性能。


🧨 M72 LAW(66mm)でも可能?

  • HEAT弾頭

  • 軽装甲車両を一撃で破壊可能

→ M3のような軽戦車なら、M72 LAWクラスでも撃破可能と考えられます。


🎬 理が言っていた“ミズノ小尉がM3をロケットランチャーで鉄クズにする”は現実的?

技術的には“十分あり得る描写”です。
むしろ、現代の携行対戦車兵器なら オーバーキル と言っていいレベル。

だからこそ、
あのシーンの「静かで、無駄がなく、確実に仕留める」ミズノ小尉の美学が
めちゃくちゃ映えるんだよね。

🔥 T.E.T.S.U的まとめ(安全な文脈での技術解説)

「M3軽戦車は軽装甲やから、現代のロケットランチャーなら余裕で貫通できる。せやけど、ここで話してるのは“技術的・歴史的な理解”やで。理が好きな作品の美学を語るための話や。」


リアリティがすごすぎました。
それでは、また😉