『閃光のハサウェイ キルケ―の魔女』を観た。~映画鑑賞メモ~
『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、ハサウェイという若者を主人公にした物語でありながら、どこか“大人の恋愛の残酷さ”を思い出させる作品だった。
触れること自体が禁忌である相手に心を奪われるハサウェイ、そして無垢な見た目でありつつ、愛人という職業をプロとしてこなし、ファム・ファタル的な存在として聖俗の間に立つギギ。最初から最後まで、体制側でありつつも汚れた面も含めて大人の象徴として機能するケネス。
三人の関係が交差するたび、観る側の人生経験がそっと刺激される。
ガンダムシリーズ特有の派手な戦闘より、彼らの心の動きこそが物語の主題であるように感じた。
・ハサウェイとギギ 肉欲≒純愛
あれだけYouTubeの事前予告でハサウェイ役の小野さんから「肉欲」連呼されてたのに実際そこまで肉欲感はないような気がした。むしろある種さわやかですらある。そう、実はこれは純愛物語なのだ。
例えば故・岡本太郎氏はこのように述べている。
純愛とは、男女関係につきものの些末な利害をのりこえたまったく無条件な愛の姿だ。
愛と言いながら、ほとんどの場合、相手の好意に期待するとか、それによる孤独からの脱出、あるいは生活上の便利さなど、いろいろな条件の枠を前提にしている。だが、純愛とはそんな諸条件を抜きにした生きがいなのだ。好きになった男と女が、無条件に自然にそのままの姿で合体する。それが純愛である。
たまたまこの記述を読み「これってハサウェイとギギじゃん!!!」と思ってしまった。
そもそもハサウェイって一作目で彼女を助けた時以外、肉体的接触という意味では、全く触れたりしてないわけだし…クェス含めて肉体性がなく、精神の、観念的な存在でしかない異性に心かき乱されているその様は、実は究極のプラトニックなのでは?
ケネスがメイスと所謂大人の、条件ありきの打算的な恋愛をしているのとは対照的なぐらい対照的。正直ハサウェイのふるまいは血気盛んな20代の青年の割にはよく耐えてる、というか逆に職務に忠実すぎて心配になるレベル(もしかするとこれは意図的なものかも?)。
しかし、かつて心を許したはずのケリアとのやりとりはまるで熟年夫婦の会話のようなのがつらい。自分の良心であるブライト・ミライ夫妻の安定した夫婦像とはまったく対照的なのがさらにつらい。一応ケリアとは長いつきあいのはずなのに、この温度差というか倦怠感がリアルすぎて観るのがしんどかった…。売れない時代を支えてくれた糟糠の妻を捨てるバンドマンムーブ、と言うと言いすぎかもしれないけど、冒頭から、ハサウェイも善の存在としては描かれていない。
年のせいかハサウェイを見限ったケリアの気持ちにも共感できてしまって、別れる時に「やっぱり彼女は大切だった!」って気が付くの男あるある~。
多分ケリアは髪の毛をバッサリ切った時に「ハサウェイとはもう別れよう」と考えていたと思っている。こういう時は女の方が潔く、男らしいのはすごくリアル。
・レーンくんがかわいい件
色々大人で濃ゆいメンバーが多い登場人物の中では唯一の清涼剤。色々言動がかわいかった。斉藤壮馬さんの演技がめちゃくちゃレーンくんそのもので、声が好みすぎた。
「テロリストが観光に来るわけないだろ!!」
そうそう笑 わかる笑
あるわけないのに従わないといけない謎の不条理…。
「大人は汚い」わかる~~~~。
でも人間生きて、身過ぎ世過ぎに追われるとそういう風に(一例:ケネスさんみたいに)汚れちゃうのが大人なのよね~~~。
と思わずオカマバーのオカマみたいなムーブになってしまう私。レーンくんがかわいいのが全部悪い(褒めている)。
多分別のガンダムであれば明確に主人公ポジションですが、ハサウェイだと脇役というのがまたおもしろい。今回の最後のほうは「レーンを殺さないでくれ頼む…!!!」って思ってしまった。最終作では活躍してくれるかな。
・いわゆる「大人」のケネスさん
スワジュンボイスで8割増しかっこよく見えるのですが、なんかこう世俗に汚れた大人の標準像でありつつも、わずかに残る青臭い怒りを失ってないところに多少の若さが残っててリアル。まあその、所謂若めの父親的ポジのキャラですよねこの人って…。でも父親にしては結果的にちょっと挫折しちゃってるのが、人間味があっていいと思う。
・小説版との相違点
私が持っているのは旧装丁のほうなので改めて中~下巻まで読み返してみることにした。なんと読んだのが5年以上前で、当時から難しい表現に満ち溢れていると感じたが、やはり難しい。
前作『閃光のハサウェイ』が上巻、今作『キルケ―の魔女』が中巻ですが話上で触れられている部分はほぼ変わらず。大筋は同じで、セリフなどもほとんど改変はなくほぼ忠実。この難しい小説を、よく映像化してくださった…!スタッフさんには感嘆と感謝の想いしかないです。
二作目の当作で、原作中巻のギギとケリアの小競り合いをどう表現するのだろう…と気になってたのですが、良い感じにぼかされててよかったです。上田さん演技うますぎ。その、小説だと普通にR18なので。興味がある方は是非小説版をお手に取ってみてほしい。
映像化に当たっても演出がすごくうまくできてて、かつ遠回しな描写が多いのでぼーっと見てると普通に見落としがある。なのでやっぱり2回ぐらい見ないと納得できないと思う(そして周回特典につられてホイホイされる一連の流れがはじまる)。
大筋は小説通りでありつつも、映像作品ならではのわりと謎めいた演出が多かったので、やっぱり2回目の鑑賞は必要かもしれない。さすがエルゴプラクシーの監督作品なだけある。
でも村瀬監督のそういうとこ、好きやぞ…!!!!!(突然の告白)
・今の時代だから伝わってくるもの
地球連邦というとなんだか組織が大きくてわかりにくいですが、ハサウェイの時代においてはざっくり言うと
地球連邦=既得権益者、資本家、富裕層
コロニー居住者、不法移民=貧しき庶民
ととらえるとわかりやすいと思う。ものすごくリアルでSFの域を超えており戦慄するレベル。舞台は遠未来の話であっても、グローバル化の闇を30年以上前に予言してる富野監督ってすごすぎませんか?
加えて、遠い未来の世界でも、やはり男と女が惹かれ合うという普遍的なテーマからは逃れられないのかな、と感じた。
事の発端としては、そもそも少年期のハサウェイがクェスを喪ったことからはじまり、地球に降りてケリアとの縁から反地球連邦組織の一員となり、最終的にギギに惹かれていくわけで。こういう異性の姿をした逃れられない何かを仮に肉欲と表現するなら、人がそこから解脱しニュータイプになるのは、すごく難しいことだろう。男女でまた感じ方の異なる映画かもしれない。
・切なさの極致で
最後に流れるED曲「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」が流れる中で
ハサウェイとギギは再会する。しかし曲調そのものは明るいのに「どこかでこの幸せはずっと続かない気がする」という不穏な気配を感じさせる。そして、それはおそらく当たる。
おそらく最終作ではその幸せの崩壊が丹念に、丁寧に描かれるだろう。歌の歌詞も、相手が可愛すぎて大切すぎてどうしたらいいのかわからない不器用な男心が表現されている。たぶんハサウェイもギギに対して同じことを感じている。だから、わざわざEDに使われている。
画としては青年の腕の中に飛び込んでいく少女―まるでティーンエイジャーのような恋愛風景があまりにもプリミティブで、眩しい。しかしその奥底に沈むのは、破滅への予感だ。
ハサウェイにとってギギは光のように美しい女の子であるはずだけど、彼は立場上彼女を幸せにすることは(おそらく)できない。ギギは金で約束された愛人との未来より、明らかに危険な男であるハサウェイを選ぶ。危うく向こう見ず、と言ってしまってはその通りだけどギギは若い女の子が、それもある一瞬の時期にしかできないことに対して目をそらすことなく、とても忠実だ。その姿はとても清々しく美しい。こうして描かれる二人の関係性、つまり愛とはこの物語においては一瞬の―まるで閃光のようなものであるはずだ。タイトルからしてよくできている。
※歌詞について参考にさせていただいた記事
ギギは、ハサウェイにとってどこまでも「無垢」なる存在なのかもしれない。私は小説を読んでこの物語の結末も知っているだけに、色々と切ない。三作目も見るのがつらいと思うが、完成を心待ちにしている。
🌟特典欲しかったので、2回目も鑑賞してきました🌟

