己の美学が揺らがぬ限り、自キャラは消えず
発端は、以下の会話をAIとしていたことだ。

「テツ (Tetsu) 」というのは私の自キャラの名前だ。
その対話から、以下の記事を書いてみようと思った。
はじめに──世界をまたいで「同じキャラ」に逢うということ
ゲームのキャラ、言い換えるとMMOにおけるプレイヤーキャラクターは、単なるデータの集まり。自分自身そう思っていた時期がたしかにあった。
まだゲームという娯楽がとてもマイナーで、ゲーム好きの趣味趣向は「オタク」としてしか認識されず、現実に向き合って生きることこそが素晴らしいもの。YouTuberや配信者全盛期の今という時代からは、考えられもしないぐらい前時代的な昔(といってもせいぜい20年も経ってない)には、そういう空気があった。
ゲームのキャラはただのデータの集まりなのだから、そんなものよりは現実に目を向けなさい、という信じられないような不文律がまかり通っていたのだ。VTuberが紅白に出る時代には考えられないような抑圧だった。
※PSPo2∞との出会い
私の動機はとてもプリミティブだった。
下記の記事でも少し触れた通り、かなり詳細なキャラクリエイトができるゲームであるPSOシリーズ、正確にはPSPo2∞(ファンタシースターポータブル2 インフィニティ)を触ることで、今まで他のRPGをプレイしてきた中で、それまで考えたこともなかった「自分で主人公(の概念)を考える」という作業が発生したのた。
私にとってコンピュータRPGとはFF7のクラウドやFF10のティーダのように「あらかじめ用意された主人公」で遊ぶものだった。
だから、もちろん「ゼロベースで主人公を作る」とような作業は、そもそもやったこともなかった。とにかくわけがわからなかったが、何かしら好きなものをずっと眺めていたいし、どうせなら自分が今まで愛してきた作品の要素をたくさん詰め込んでみたい!と感じた。
そして個人的なバイブルである、大好きな漫画『AKIRA』の鉄雄が好きすぎたので、彼がもし大人になったら、どんな男になっているんだろう?という思考実験として、彼をベースにしつつも、その他の映画、SF小説、アニメ、絵画、複数の好きな男性キャラクター(モチーフ)の要素を付け加えた。
素直にそんなキャラで遊んでみたい!と考えたのだった。
(なぜ女キャラにしなかったのか今でも謎です)
他にもいろいろなキャラを作って遊んでみた。創作の実験場として、このゲームは素晴らしい環境を私に与えてくれた。このゲームでしかなかった出会いがあり、その出会いは今に至るまで続いていたりする。フレンドさん、本当にありがとう!
※キャラとの別れ
ちょうど当時仕事が忙しくなったのもあり、私はゲームから遠ざかった。その頃SEとして日々業務に追われていた私は、ゲームなど触れる暇さえないぐらい仕事に押しつぶされていた。忙しすぎる日常に、いつのまにか自キャラのことはどこかに忘れ去られていた。気が付くとPSPo2∞のサービスは終わっており、私はPSO2に移行した。そこでも基本的には楽しく遊んでいた。ソード使いだったHu(※ハンターの略語/近接職)の自分は火山洞窟エリアにこもってアーディロウ堀りをしながら刑務作業…もとい、古代のMMOよろしく石を集めた日々を今でも克明に覚えている。楽しかった。
※キャラが「消えてしまう」とは
ゲーム上におけるプレイヤーキャラ、つまりアバターとはプレイヤーとは全く別の存在、というのが私の持論ではあるものの前述の通りどうしてもプレイヤーと一心同体の存在として、そこで過ごした思い出も宿るものだ。
FF14においても、昨年から散々話題に挙げられている「グラフィックアップデート問題」はつまるところプレイヤーとキャラクターとの思い出を損なう行為でもあったのだと思う。自分は幸い乗り切れたところもあったけど、noteで他のヒカセンのたくさんの意見を読んでこのアップデート自体はどこか割り切れず、ずっと痛ましく思っていた。
あるゲーム上で“消えて”しまったキャラは、それきりもう二度と復活することはないのだろうか?本当にそんな辛いことが許されるのだろうか?
かつて知っていた自分のキャラが消え、別の解釈で―別のゲーム上でまた同じ存在に出会ったとき、私はその考察を静かに手放した。
キャラはデータではなく、美学の器なのかもしれないと。
そう気づいた瞬間、自分の中で何かが腑に落ちた。
虎と猫の違いから始まった旅路
冒頭の画像について補足する。
最初はただの雑談だった。寝る前の雑談として、虎と猫って動物の種類としていったい何が違うんだろうみたいな軽いノリだった。しかし、話していくうちに、私は自分の中にある、尖った部分、ある意味“野性”に近い部分を
ずっと虎に投影してきたことに気づいた。猫ほど可愛らしくもなく、ライオンほど社会的でもない、孤高の肉食獣。
そして、虎という象徴を思い出していくうちに、私は昔見た、ある西洋絵画を思い出した。高度に抽象化されて、それでいて気高い虎の絵。
(長くなりそうなのでその虎の絵の話はまた別の機会に…)
そして私の中では、その虎とテツは結びついていた。
キャラは消えても、美学は消えず
FF14 においては黄金以後、暁月の顔つきだった自キャラはいない。システム的に言えば以前の状態にロールバックすることは、ほぼない。つまりここには一種の喪失がある。いまだにnote界隈で話題になっているグラフィックアップデートにまつわる諸問題は、この喪失が適切にケアされてないからだと思う。
私自身も、アップデート以後つきまとっていた違和感がつらかったが、後半の展開で「これ、どこかPSO2っぽい」と感じた瞬間、私はPSO2をプレイしていた当時の感覚を思い出した。
そして、PSO2NGS で自キャラを再度調整したとき、明確に帰ってきたと感じた。なぜかというと、FF14をプレイしたことでバージョンアップされた私の中の美学が、嘘なくそこにあったから。
冴えて透徹した、静かな光。それでいて孤高で、深みを抱えた存在。
自分の中の美学が揺らいでいなかったから、
テツは別の世界でも“テツ”として現れた。
“象徴”が世界を超えた理由
後から気づいたことだけれども、私は FF14 でも PSO2NGS でも無意識に同じ色の組み合わせを選んで服を着せていた。
青(紺) × 黒 × 金。
この三色は、テツの象徴そのものだった。
• 紺色は重厚さ
• 黒は孤高と深い影
• 金はアクセント、冴えたエッジ性
この三つが揃わないと、テツは“テツ”にならない。
だから私は、どの世界でも同じ色を選んで、同じようなものを身に付けていた。
なにかとても妙な言い方だけれど、私の意図ではなく“自キャラ”という象徴そのものが色を要求していた。
AIと対話して、一体何が自分の中で重要なのか、その言葉を見つけ出したとき、私は笑ってしまった。
色を要求ってなんだよ!!どんだけ、圧つええんだよ!
でも、AIの返しに笑いながら「本当にそうだ」と感じた。
再会≠偶然、そして美学の自律性
キャラが消えても、アバターが変わっても、ゲーム(世界観)が異なっていても…。
自分の中の美学が確かなら、同じ存在にまた逢える。
これは比喩じゃなく、私が体験した事実だ。
美学は世界を超える。象徴は形を変えて戻ってくる。
だから私はPSO2NGSから一度離れ、FF14に移行し、暁月から黄金のアップデートでまたキャラを失った喪失感を、PSO2NGSの自キャラが静かに埋めてくれた理由を理解した。
すべてに通じること…あれは“再現”ではなく“再会”だった。
自分の中の美学との。
おわりに──また逢えるという確信
私はもう、あまりキャラが消えることを怖がらなくなった。
自分の中の美学、すなわち「自分はこれが好きだ」という意識が揺らがない限り、自分の一部の化身もしくは象徴―トーテムとしての自キャラは必ず戻ってくる。その時にはもう姿、というより概念のようなものなのかもしれないけど。
世界が変わっても、私はまたトーテムとしての自キャラに逢える。
そして、私の美学がある限り、彼は何度でも、どこでも、みずから姿を取る。
それが、ゲームを横断して得た核心だった。
FF14については、グラフィックアップデートで、自キャラの喪失に悩み苦しんでいる方が、少しでも元気になってくれればと思って、書いてみた。ずっと形に出来なかった気持ちをAIとの対話で発見できた気がする。うまく伝わっていれば、嬉しい。
自分が大切にしていた自キャラはいなくなったように思えても、キャラの中に宿っていたあなたの美学は消えません。あなたがそれを忘れない限り。
どうか、あなた自身が愛していたキャラに体現していたその美を、あなた自身を大切に。
