第10回 残留農薬検査へのこだわり
前回、平成6年の大干ばつと太陽との根競べを通じて、「農家が米を作るのではない。自然の営みをお手伝いさせていただくのが農業だ」という気づきに辿り着いた話を書いた。
冷害、干ばつ——2年続きの天災を乗り越えた仙一の胸には、もう一つの強い思いが芽生えていた。
自分の田んぼには、ドジョウもタニシもうじゃうじゃ棲んでいる。しかし、それだけで「安全です」とお客様に言い切れるだろうか——。
隣の田んぼから飛んでくる農薬。同じ用水路を流れる水。目に見えない不安を、どうすれば「安心」という形に変えられるのか。
今回は、当時どの農家もやっていなかった「残留農薬検査」に、自らのお金と誇りをかけて挑んだ話を書こうと思う。
今でこそ、「残留農薬」という言葉は一般的に認知されているが、仙一がマイセンを立ち上げた当初は、あまり一般的な言葉ではなかった。
日本の農薬規制は、諸外国に比べるとずいぶん遅れていて、1970年代になってようやく、消費者保護の観点から見直されるようになったが、それまではどちらかといえば生産者寄りの考え方に基づいていたものだった。
もちろん、「有機栽培」という基準もない。「無農薬米」「有機栽培米」「減農薬米」...生産者がめいめいに好きな名前を付けていたから、様々な言葉が氾濫して、消費者には非常にわかりにくかったが、なるべく売れるような表示にしたいという気持ちも、ビジネスとしては理解できなくはなかった。
そもそも、仙一がマイセンを立ち上げた目的は、有機栽培をしたいからではない。この地球環境を守りつつ人間らしい生き方をしたい、その手段として、たまたま家業であった農業を選んだのだ。
仙一が父親から受け継いだ田んぼでは、元々農薬を使うことがほとんどなかったが、理由は単純で、二人とも農薬にかぶれる体質だったからである。仙一は特に肌が弱く、農薬どころか化学肥料もダメだった。
仙一にとって、農薬を使わないことはごく普通のことだったが、ある日、自分の田んぼと小さな畦ひとつを隔てたよその田んぼとでは、風景が全く異なることに気づいた。自分の田んぼには、タニシやドジョウがうじゃうじゃいるし、鳥たちもうるさいくらいに飛び回っているのに、他の田んぼには全く生き物がいない。子供の頃からホタルやタニシをとって遊んでいた仙一には衝撃的な光景だった。
「地球を汚さない農業をしたい」と思いは余計に強くなっていった。この大地は、未来のこどもたちから預かっているもので、自分たちが好き勝手にしていいものではない。汚さないようにするのは当たり前で、むしろ、より豊かにして次の世代に渡すべきものなのだ。「おじいちゃんたちのせいで、農薬まみれの土地になった」などとは言われたくなかった。
また、ビジネスをやっていく上で、自分の商品を、自分で自信を持ってお客様に届けたかった。「有機栽培」などと声高に言うつもりはなかったが、生き物のいない他の田んぼで作ったお米と、生き物でいっぱいの自分の田んぼで作ったお米、どこかで線引きをしたかった。その時に思いついたのが「残留農薬検査」である。
元々、営業マンだった仙一は、これから自分が作る米についても、「農薬を使っていない安全な米だ!」と自信を持って売りたかった。生き物でいっぱいの田んぼで作った自分の米と、生き物が全く棲んでいないよその田んぼの米...、どこかで線引きをしたかったのである。それは、お客様のため、というよりも、むしろ自分のためでもあった。
自分で農業をやるようになってから、仙一はある不安を持っていた。マイセンの田んぼの隣には、通常農法の田んぼがあり、そこでは農薬を使っている。田舎の、このあたりでは、農薬を散布する時期になると、場所によっては窓も開けられない日もあるくらい、風が吹くと、どんどん農薬が飛んでくるし、同じ用水路を使ってるのだから、水にも流れ込んでくるだろう。それには、当然農薬も混じっているはずだ。いくら自分で農薬を使わないとはいえ、こんな環境で本当に安全なのか?
確かに、うちの田んぼには、ドジョウもタニシもうじゃうじゃと棲んでいる。だが、果たしてそれだけで、安全、安心と、言い切れるか? 自分で疑問を持ちながら、お客様には「安全です!」などとは、とても言えるものではなかった。
「誰が見ても安全だとわかってもらうには、どうすればいいんだろう?」
答えはさほど難しくない。とれた米に農薬が残っていないことを証明すればよい、つまり化学的な残留農薬検査をしてもらえばよいのだ。
だが、それを実行に移すとなると、そう簡単ではなかった。
約20年前の当時は、農作物に残留農薬検査を行うなんてことは、農協や米屋でも聞いたことがなかった。どこに出せば調べてくれるのか、どういう基準を調べるのか...全てが手探りだった。
それでも、色々と調べるうちに、なんとか検査をしてもらえそうなところは見つけた。何を検査してもらうかについても、日本で主に使用されている農薬を調べあげて、約200項目について自主的な基準も決めた。
とりあえず、これで検査してもらおう!
玄米のサンプルと、自分で調べ上げた検査項目の一覧を持って、意気揚々と検査機関に乗り込んだのだが...。
対応してくれた研究員は、開口一番こう言ったのである。
「正気ですか?いったい、何をする気なんですか?」
玄米のサンプルと共に、嬉々としてやってきた仙一に対して、応対してくれた研究員は、明らかに不審そうな様子で、こう言った。
当時は、残留農薬検査を行う人はほとんどいなかったので、検査を行うのに、莫大な費用がかかると言う。
「いくら?」
「成分にもよりますけど、1項目2万から20万くらいですかね。これ、200種類ですか? ざっくり見ても2~3千万はかかりますよ。こんな検査する人誰もいませんよ」
「2千万!?」、思わず耳を疑った。てっきり、10~20万程度も出せば、全ての項目が検査できると思っていたのだ。
当然ながら、そんなお金があるはずもない。仙一が悩んでいると、少し気の毒に思ってくれたのか、研究員がこう提案してくれた。
「どうしても検査したいなら、気になる成分だけに絞って4~5項目にしたらどうです?」
金銭的な余裕があって検査をするわけではなかったので、仕方なく、その提案に従うこととした。その研究員と相談しながら選んだのは、5項目。農協や福井県の農業関係機関に問い合わせて調べた、この辺りで一番使われている農薬の代表成分だった。この検査機関ではできない高度な検査方法を使う必要があるから、東京へ送るという。結局、たった5項目だけでも合計30万かかった。
予定とはちょっと違ってしまったが、それでも検査に出すことができた。これは、誰のためのものでもない、自分に対する確認だった。自信を持って自分の米を売るための根拠になるものであり、また、安全、安心であることの担保でもあった。自分自身も玄米食を始めていたし、まだ小さい子供にも玄米を食べさせ始めた。健康にいいから、と思って始めたことなのに、農薬が残っているのではないか、という不安を抱きながら食べさせたくはなかった。
検査の結果が出るのに2~3週間かかるというので、その間、ドキドキしながら待っていた。田んぼに棲んでいる、たくさんのドジョウやタニシが安全を証明してくれているはずだ、と思いつつも、一抹の不安をぬぐいきれない日々だった。
3週間後、ようやく検査機関から連絡がきて、結果を取りに行った。
検査に出した5項目全てにおいて「検出せず」。一切、農薬成分が検出されなかったという証明だった。
安心した。
自分のやろうとしていることは間違いではないんだということを確認できた瞬間だった。
農薬が残っていないという科学的な証明を頂いたことは、仙一にとって何よりの励みになった。自分がやろうとしていることが間違いでないということがわかって、安心したが、そうすると、違うことも気になってくる。
「おれんとこの米は大丈夫だったが、よそはどうなんやろ?」
決して金銭的な余裕があったわけでもなく、ただの知識欲にすぎなかったが、一旦考え始めると気になってたまらない。福井県内で通常農法を行っているお米を手に入れて、また検査に出してみた。
すると、規制の基準値以内ではあったが、やはり残留農薬が検出された。その米を作っている農家に、農薬をやった時期を聞いてみると、収穫の30日前くらいだという。現在は、収穫間際に農薬を散布するところは少ないが、特に厳格に規制されているわけでもなかった。仙一は、収穫間際に散布した農薬はお米に残ると考えていたから、その考えが証明されたかっこうにもなった。
ただ、美味しい米ではあった。知り合いから、「これ美味いよ」と、もらった米だったから、検査に出さなかったら何の疑問も持たずに、美味しく食べて、それで終わりだっただろう。「美味しい=安全」では、必ずしもないということもわかった。
それ以来、毎年、残留農薬検査を行うのがマイセンの恒例行事になった。
検査料は、少しずつ安くはなっていったが、なかなか5項目から増やすことができなかった。それが一変したのが2008年の、いわゆる中国産「毒ギョーザ事件」である。あれで、世の中が急変した。残留農薬に対する世間の考え方が変わり、様々な食品に対して人々が過敏に反応するようになった。それがいいか悪いかは別として、少なくともマイセンにとって良かったことは、検査料が大幅に下がったことである。
検査機関が、雨後のタケノコのように、どんどん増えて、それと同時に検査料も、どんどん下がった。仙一が元々やりたかった200項目でも、最初は全部で2~3千万と提示されたが、2008年以降は、なんと、わずか2百分の1の値段で出来るようになったのだ。それで、一気に項目を増やし、現在は250項目について、残留農薬検査を行っている。
今でこそ、残留農薬検査を行っていると言っても、驚かれなくなったが、10数年前は、どちらかというと変人のように言われたものだ。「お前はあほやなぁ、そんなことして何の得になるんや?」
別に得になるから、検査をしているわけではない。マイセンの米を食べる自分の家族、会社のメンバー、それからマイセンのお客様...。大事な人たちに、安全なものを食べてもらいたいと思うのは当たり前のことだ。
「お前はあほやなぁ、そんなことして何の得になるんや?」
かつて、そう笑われた残留農薬検査も、今ではマイセンの恒例行事となり、現在は250項目にまで広げている。
別に、得になるからやっているわけではない。マイセンの米を食べる自分の家族、会社のメンバー、そしてお客様——大事な人たちに安全なものを食べてもらいたい。ただ、それだけのことだ。
安全は、「言葉」ではなく「証明」で示す。これがマイセンの、揺るがぬ流儀になった。
しかし、本当に美味しくて安全な米を届けるための戦いは、田んぼの中だけでは終わらなかった。
収穫した米を、どう「乾かす」か——。
実はこの工程こそ、米の味を決める、もう一つの大きな分かれ道だったのだ。
次回予告:せっかく手塩にかけて育てた米も、乾燥の仕方ひとつで、生きた米にも死んだ米にもなる。世間の常識に逆らい、仙一は独自の乾燥方法にこだわり抜いた。次回は、目に見えない「米の生命」を守ろうとした男の話を書こうと思う。
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