生後1日。初めてNICUで見た息子は、昨日とはまるで違っていた|NICU編#02
※はじめましての方へ
このnoteでは、不妊治療を経て今年3月に初めて父親になった私が、1年間の育休の中で感じたことを、その時の気持ちのまま記録しています。
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自己紹介
前回、息子のNICU入院が決まりました。
大学病院について、私は初めてNICUへ向かうことになりました。
前日までは、
「無事に生まれてくれてよかった」
それだけを考えていました。
でもその翌日。
私は、自分の子どもがNICUに入る現実を目の前にすることになります。
今回は、その時のことを書こうと思います。
初めて向かったNICU
大学病院に着いてから、受付をしたあと
「〇階(NICUのある階)へ行ってください」
そう言われたので、該当階に行けるエレベーターに乗り、指定された階で降りました。
エレベーターをでると、左右それぞれに案内盤があり、いくつか病棟や治療室の名前が書かれていました。
私は左側の案内表示を見ました。
そこにもいくつか名前が並んでいました。
でも。
その時の私は、他の文字をほとんど見ていませんでした。
その中にあった
「NICU →」
その文字だけが目に入りました。
今思えば、他にも書いてあったはずです。
でもあの時は、不思議なくらいNICUしか見えていませんでした。
そのまま右へ向かいました。
たぶん距離にしたら、本当に短かったと思います。
でも。
あの時はかなり長く感じました。
大丈夫なんだろうか。
そのことばかり考えていました。
入る前から、普通の病室とは違っていた
NICUの入り口を入ると、すぐにロッカーがありました。
ロッカーにはいくつか張り紙が貼ってありました。
全部は覚えていません。
でも、
持ち込めるもの。
預けるもの。
そういう説明が書いてありました。
たしか、
財布などの貴重品。
カメラ。
携帯電話。
搾乳した母乳。
そういったものは持ち込みできた気がします。
私は財布と携帯だけ持って、それ以外をロッカーに入れました。
その近くには、ビニール製の防護服みたいなものが置いてありました。
細かく何て書いてあったのかは覚えていません。
でも。
置いてあったので、そのまま着ました。
そのあと体温確認の紙を書いたと思います。
手を洗って、インターホンを押しました。
すると中から看護師さんが来て、扉を開けてくれました。
そのまま中へ入りました。
待合室みたいな場所に案内されました。
その時に言われました。
「お父さんはそれ着なくて大丈夫ですよ」
どうやら勘違いして着ていたみたいでした。
その場で脱ぎました。
でも正直、その時はそんなことを気にしている余裕はありませんでした。
待つ時間が、とにかく長かった
そのあと、
「ここで少し待っていてください」
そう言われました。
でも。
この時間がかなり長く感じました。
その日、大学病院へ運ばれてから、まだ一度も息子に会えていませんでした。
まだ呼ばれないかな。
どうなってるんかな。
大丈夫なんかな。
まだ呼ばれないかな。
ずっとそんなことを考えていました。
何分待ったのか覚えていません。
でも体感ではかなり長かったです。
全然落ち着きませんでした。
初めて見たNICUは、想像していた場所と違った
しばらくして呼ばれました。
そのまま案内されました。
途中、何度か手の消毒をしました。
そしてNICUの中へ入りました。
最初に感じたのは、機械音でした。
ずっと何かの電子音が鳴っていました。
周りを見ると、他にもたくさん赤ちゃんがいました。
私は勝手に、もっと静かな場所を想像していました。
でも全然違いました。
「あぁ、NICUってこういうところなんだ」
その時初めてそう思いました。
息子の姿を見て、不安が大きくなった
そのまま息子のところまで案内されました。
最初に見えたのは、保育器でした。
昨日、新生児室で見た時とはまったく違う光景でした。
そして近くまで行って、次に目に入ったのは管でした。
たくさんつながっていました。
鼻にも。
腕にも。
体にも。
昨日まで見ていた姿とは全然違いました。
正直、その姿を見た瞬間。
思っていたより状況はよくないんじゃないか。
本当は危ないんじゃないか。
そう思いました。
しかも少し区切られたスペースにいたので、それも余計に不安になりました。
ただただ、
大丈夫なのか。
それしか考えられませんでした。
ちゃんと聞こうとしても、頭に入らなかった
そのあと先生が来ました。
説明が始まりました。
帝王切開では比較的よくあることで、
肺に残った羊水がうまく排出できていない状態とのことでした。
重症ではない。
そこまで心配しすぎなくて大丈夫。
そういう説明だったと思います。
私はその時、
ちゃんと聞かなきゃ。
そう思っていました。
妻にも伝えないといけない。
自分の両親にも。
妻の両親にも伝えないといけない。
自分がちゃんと理解しないといけない。
そう思って、ずっと先生の顔を見ていました。
ちゃんと聞こうとしていました。
でも。
正直。
聞いていても、頭に入ってきませんでした。
理解しようとしても、うまく整理できませんでした。
結局その時の私は、
本当に大丈夫なんだろうか。
そればかり考えていました。
父親になったけれど、できることは何もなかった
その日。
私は初めてNICUに入りました。
初めて、自分の子どもが治療を受けている姿を見ました。
その時思ったことがあります。
父親になったんだな。
そう思いました。
でも同時に。
自分には何もできない。
そう思いました。
抱っこもできない。
代わってあげることもできない。
治してあげることもできない。
できることは、
信じること。
祈ること。
それだけでした。
このあと私は、妻と双方の両親に状況を伝えることになります。
でもその時の私は、正直まだ説明を理解しきれていませんでした。
何から話せばいいのか、自分でもよく分かっていませんでした。
その話はまた次回書こうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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この「アラフォーパパの育休日記」は、初めて父親になった自分自身が、その時感じたことをできるだけそのまま残したくて書いています。
正直、育児もまだまだ分からないことばかりですし、毎日手探りの連続です。
それでも、この1年間で感じることは今しか残せないと思って、一つずつ記録しています。
もしよければ、これからも続いていく父親1年目の記録を読んでいただけると嬉しいです。
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これからも少しずつ書き続けていこうと思います。
