映画『駅 STATION』を、元旦の夜に観る
元旦の夜、かみさんが作ったおせち料理で、ハイボールを飲みながら、Amazonプライム・ビデオで『駅 STATION』を観た。どれを観ようかと迷った上での選択だったが、これが実に良かった。
公開は1981年、監督は降旗康男、脚本は倉本聰(高倉健のファンで脚本を書き上げてから持ち込んだらしい)、撮影は木村大作だ。ネタバレになるので詳しくは書かないが、印象に残ったところを、いくつかまとめてみたい。
存在として立っている男
主演は、高倉健。
演技がうまい、という言葉では足りない。画面に立っているだけで空気が変わる。多くを語らず、背中や視線、立ち姿で人生を語ってしまう。こういう役者は、本当に少なくなった気がする。
物語は、断片として語られる
この映画には、はっきりとした一本のストーリーがあるようで、実はない。
1968年、1976年、1979年。三つの時代が断片的につながり、各章には女性の名前が添えられている。そう考えると、この映画は英二という男の物語であると同時に、彼の人生に現れては去っていった女性たちの物語でもある。
哀しみが伝わってくる最初の別れ
冒頭に登場するのが、英二の別れた妻・直子。
演じているのは、石田あゆみ。登場時間は短いが、雪の銭函駅での佇まいは、最後まで強く印象に残る。感情を語らず、説明もしない。それでも、表情の奥にある決意と哀しみが、あとからじわじわと効いてくる。
無垢っぽいが、弱くはない存在感
次に現れるのが、すず子。演じるのは、デビュー間もない烏丸せつこ。
無垢っぽい。けれど、弱くはない。演技というより、素のまんま生きている感じがする。厳しい土地で生きる若い女性の現実が、過剰な説明なしに伝わってくる。兄役を演じる根津甚八との関係性も印象的だ。
セリフではなく、仕草で間で語る
そして、やはり忘れがたいのが桐子だ。演じているのは、倍賞千恵子。
桐子は、小さな居酒屋「桐子」を営んでいる。実家へ帰省しようとする英次だが、連絡船が欠航となり、たまたま店に立ち寄る。暮れも押し詰まった30日の夜、客は誰もいない。テレビでは、八代亜紀の「舟唄」が流れている。
倍賞千恵子のすごさは、セリフではなく、ほんのわずかな仕草や間で物語を語ってしまうところにある。やりすぎれば嘘になる。足りなければ何も伝わらない。その微妙な際を、的確に、しかも自然に演じている。
もう一人の名脇役は、テレビの中にいる
主演が高倉健、助演に石田あゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子。他にも「おっ」と思うような役者がたくさん出ている。その布陣だけでも十分に贅沢だが、僕はもう一人、忘れがたい名脇役がいると思っている。
それが、テレビの画面を通して映る、八代亜紀だ。
一夜を過ごした二人が、居酒屋「桐子」で見ている紅白歌合戦のシーンは、生放送を使い、ほぼアドリブで撮られたらしい。作り込まれた芝居ではなく、その瞬間の空気が、そのまま画面に封じ込められている。
言葉はほとんど交わされない。だが、歌声と沈黙が、その場の感情をすべて語ってしまう。もちろん、八代亜紀は、役者として画面に立っているわけではない。それでも、あのシーン全体の温度と湿度を決定づけている。
同じように、テレビを通じて映るのは、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉だ。円谷の遺書が読み上げられる。こちらは切なすぎて書けない。僕は、このシーンはなくてもよかったとのでは思っている。
もう一つの役者、それは駅である
八代亜紀の歌が終わり、テレビの音が消えると、場には静けさが戻る。
人の感情がひととおり交わされたあとに残るのは、いつも「場所」だ。
そして、この映画では、その場所こそが、本当の主役なんだと思う。
それが、駅である。
人が出会い、別れ、感情が交差したあとに残るもの。
『駅 STATION』は、そんな時間を、駅という場所に預けて終わる。
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