【連載小説⑧‐1】 春に成る/バームクーヘン
< 前回までのあらすじ >
喫茶店『ベル』のマスターの息子・敬と常連客の流果のノンアルドリンクに協力する代わりに、ドリップ珈琲に協力してもらえることになった遥。
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バームクーヘン(1)
家にあったドリップ珈琲を入れると、いつもより良い香りが広がった。寝起きの頭を起動させようと珈琲を流し込みながら、昨日の出来事を反芻していた。昨日は色々な事が起こり処理が追いつかないまま寝てしまった。
取引が成立して、試飲しようという時、扉を叩く音と、明るい声が響いた。
「敬! もうオープンの時間過ぎてるぞ〜、大丈夫か?」
「げ、瑛二だ! おい、裏口から出ろ! この話はまた今度だ」
小さいグラスを引っ込めて、慌てて裏口へと案内する敬。
「あ、僕も用事があるから、今日はハルと一緒に帰るよ」
空になった大きいワイングラスを、シンクの中に引っ込めて、流果が付いてきた。裏口から出ると、まだ明るさは残っているものの、じわじわと暗くなってきた空が、私達を迎えた。
「あ、今日はありがとうござ……、ありがとう。また来るね」
付いてきた流果に別れを告げた瞬間、優しいのに、どこか有無を言わせない強さで手を掴まれた。振り向くと、笑顔の流果と、明るくて暗い空。
「ねぇ、少し話さない? 用事があるっていうの、嘘なんだ」
綺麗な人に手を掴まれて、どこか誘うような甘い笑顔を向けられている。そして心臓は早鐘を打っているのだけど、このドキドキは少女漫画のドキドキとは違った。首を横に振ろうと決意し、視線を外した。
「ちょっと……話しておきたいことがあるんだ」
手に少し力が加わった。もう逃げ場がない気がして、少し諦めにも似た気持ちで見た流果の目は、さっきとは違って真剣だった。
「今からが無理なら、後日でも、電話でも、ビデオ通話でも良いんだけど……」
徐々に小さくなった言葉が消えると、するりと、手が離れた。同時に、視線も下がる。
「ごめん、急に」
最初は何だか怖かったけど、本当に伝えたいことがあるのかもしれない。
「あの、場所は私が決めても、良い?」
顔を上げた流果は「もちろん」と今の空と同じ色で微笑んだ。
選んだのは、弟・那津が店長をしている創作料理店。那津の友達に芸能人になった人がいて、その人も来れるようにと個室を作ったと、以前行った時に話していたのを思い出したのだ。流果は芸能人ではないけれど、綺麗だし目立つ。でもきっと、ゆっくり話せる場所が良いのだろうとか、色々考えた結果だった。
流果を見た那津は、きっと私と同じように性別が分からなかったのだろう、一瞬混乱していたけど、軽く紹介した時に声を聞いて、私を見ながら少し口角を上げた。何か誤解をしていたようだけど、ジッと見返すと何かを感じ取ってくれたようだ。
「弟くん、すごいね。こんなオシャレな創作料理店やってるんだ」
「そう、姉弟でもこんなに違うのかっていうくらい、昔からすごく器用で。私には詳しく分からない料理ばかりだけど、美味しくて」
「ふふ、姉弟仲良さそうで良いね」
個室に入り、メニューを決めながら、他愛ない話しをした。こうしているとさっき感じていた怖さの欠片もない。注文した料理をほとんど食べ終わった頃、流果が飲みかけのグラスを手に取った。確かジン・フィズというカクテルだったと思うけれど、グラスの上の方で浮いていたレモンが少し揺れた。
「僕ね、人もお酒も好きだからさ、一人でもいろんなバーに行ってよく飲んでるんだ」
グラスを見つめる瞳は、まるで恋人でも見ているかのようだった。なんだかドラマでも観ているような気持ちになる。
「バーで仲良くなる人も多いんだけど、男も女も普通の友達には、なれないんだよね」
長い睫毛が少し下がり、憂いの色が広がった。睫毛が上がって、私を映した瞳はとても色っぽくて、何となく言おうとすることを悟った。
「最初は断ってたんだけど、だんだん疲れてきて、流された方が楽だなって思っちゃってさ。雰囲気悪くしたり、一人でお酒飲みに行けなくなるのは嫌だったし……なんて、ハルみたいな人に言うと、軽蔑されちゃうかもしれないね」
グラスをテーブルに置いた音が、虚しく響いた。私には未知の世界の話だ。流果くらい綺麗だったらと想像してみることしかできないけれど、異性も同性も関係なく言い寄られた想像の中の私は、それならお酒を飲みに行くのをやめようという決断を下した。
「うーん……そういう、お酒を飲める場所が流果……にとって、すごく大切ってこと?」
ひっそりと流れていたピアノの綺麗な音が耳に入って来た。変なこと、言っちゃったかな。
「そう、だね」
流果の口元が徐々に緩んでいく。頬杖をついた流果は、美しい過去の映像を見ているかのように、遠くを見つめた。
※「バームクーヘン」が途中である為、絵は次回掲載します。
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※見出し画像は、村木藤志郎様の画像です。素敵な画像を使わせていただき、ありがとうございました。
