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対話型鑑賞ツアーに参加してきた。参考図書『教えない授業』

 ずいぶん否定的な内容を含むため、書きかけのままで公開するかを迷っていた記事。どうか、前向きな意見として受けとめていただきたい・・・・・・

参加させていただいたのは、こちら。
初めての対話型鑑賞に期待が膨らむ。

 学校教育の現場や美術鑑賞のトレンドとして注目されている対話型鑑賞法の体験ツアーに参加した感想である。アウトドアガイド業の一環として、明確な目的を持って参加してきた。私自身も自然体験プログラムにおいて、従来の知識偏重型ガイドではなく、参加者(ゲスト)の参加感を重視するプログラム提供を目指している。その参考として、美術の対話型鑑賞にかねてより興味があった。

 対話型鑑賞を体験するにあたり、下記の図書を読んでから臨んだ。

教えない授業 美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方
著|鈴木有紀 英治出版

 対話型鑑賞法の優れている点は、鑑賞者(=ゲスト)側に事前知識を多く必要としない点。また、ナビゲーター(=ガイド)から参加者への一方的な知識の押しつけではなく、鑑賞者が気づいた事や考えた事「何を感じるか?」に焦点をあてる点が挙げられる。ナビゲーターは問いかけを使って、鑑賞者同士が対話を通して作品を味わう手助けをする。なお、対話型鑑賞法の詳細や実施方法は、ここでは割愛。
 対話型鑑賞の実施には、ナビゲーターにある程度のスキルが要求される。自然体験プログラムへの応用を考える場合にも、ゲストの興味に合わせてガイド内容を調整できるような熟練度が求められるだろう。

 では、実際の感想である。
 ナビゲーターさんに一定のリスペクトを送った上で、少し辛口のことを言う。プロとボランティアでは習熟度と覚悟(責任感)が大きく異なるなと感じた。
 美術鑑賞に限った話ではないが、こういった体験型プログラムに参加すると、同業者(ガイド業)のクセで「ものわかりの良いお客さん」を意識的に演じてしまう。今回で言えば、ナビゲーターさんが鑑賞者に「こう言ってほしい」だろうな~、と予測した私が発言内容を合わせてしまうのだ。この状態ではあまり本心から楽しめていない。
 実は、優れたガイドほどガイド自身の存在感は薄い、あくまでゲストを主役にさせる。これが理想形だ。本当に素晴らしいガイドを受けると、こういった演じている自分は意識されない。その点で、少し物足りなさがあった。
 無料体験に何を贅沢なという話ではあるが、そこが問題の本質でもある。ボランティアはどうしても自身の知識やテクニックを見せたがる。ゲストも無料なので多少の違和感には目をつぶってしまう。この状態は双方にとってマイナスだ。ゲストは良い体験の機会を失い、ボランティア側も成長の機会を逃してしまう。
 少し脱線するが、これは日本の観光における無料ガイド文化が生んだ大きな弊害である。各地で無料ガイド制度が根付いてしまった日本国内では、質の高い優秀なプロガイドに正当な報酬が支払われない。その慣習が今でも根強く残っている。何もボランティア精神が悪いと言っているわけではない。しかしボランティアで運用されるプログラム形態は、けっきょくサステナブルではないことも事実だ。今回の件に話を戻すと、本当に鑑賞者を楽しませる自信(プロ意識)のあるナビゲーターであるなら、正当な賃金を請求するべきである。もしそうでないなら、それはご立派なボランティアではなく、まだ見習いだと自覚するべきだ。
 公的補助を投入して文化体験の機会均等を提供する、という美術館の存在意義とはまた別の話である。体験を無料で提供していても、スタッフに正当な賃金が支払われていれば問題はない。具体例を挙げるなら、学芸員さんによるギャラリートークが無料であっても、学芸員さんはお給料をもらっている業務時間内である(だからプロとして働く、ここに違いが現れる。)。あくまで今回の当該プログラムが、ボランティア体制で運用されていた事に課題がある、というだけだ。無料や格安で文化体験が提供されること自体は素晴らしい取り組みである。
 もちろん全てのボランティアさんの力量が足りなかったとまでは言わない、ただ参加する側も一人のナビゲーターさんにしか対峙しない(つまり、一人のナビゲーターさんが全体の印象を担う)ことを運営はもっと重要視する必要があるだろう。(芸術祭に、ボランティア側へも「参加する」文化体験を提供する狙いがあるとしても。)
 昨今、対話型鑑賞に注目が集まっているからこそ、本来の姿が定着する形で広まってほしい、そう願います。

 さて、対話型鑑賞を体験してわかったことは、参加者にもある程度のコミュニケーションスキル(もしくはリテラシーか?)が必要だなという点。本で読んだ、子どもたちを対象とする教育現場とは少し異なる気がする。
 というのも、ツアーはナビゲーターさん1名に私を含む参加者2名(加えて、関係者らしい方が離れて同行)だった。もう一人の参加者の方も対話型鑑賞法の意図を理解しておられる方なのだろう、とても有意義でスムーズな対話が行われた。ところが、ツアー後半で「私も参加していいですか?」と飛び入りする参加者が現れた。そもそも、集合場所と時間に来ていない(少し遅れたとかではない)ので、もし私がナビゲーターなら無料ツアーであってもやんわり断る場面だ(次の回を案内する等)。すでにここまでの過程で鑑賞者同士の良いリズムが出来上がっていたからだ。案の定、途中参加者の方は対話ではなく「一人語り」をはじめた。正直、興ざめであった。
 この出来事はガイド業にたずさわる私も自戒として心にとめておく必要がある。なお対話型鑑賞法については、自分で参加するよりも、まずは優れた対話型鑑賞が実施されている場面を客観的に見学してみたいなと思った。

 最後に、最後まで読んでくださる方がいたなら、なんと自分本位な文章を書いてしまったことか! 楽しい読み物を提供するnote執筆として、最低レベルの記事である事をお詫び申し上げたい。


 フォローしておきますと、『国際芸術祭 あいち2025 灰と薔薇のあいまに』は素敵な芸術祭でした。記事はこちらから。


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