⚪️掌編小説|蜜柑堂書店 第十四話
第十三話からの続き
今月中には終わるだろう。
新たに入荷した分も含め、在庫するすべての本の保管場所(棚の位置)を、データベースに登録する作業も残すところあと僅かだ。
やり始めたばかりの頃はかなり手間取ったけれど、後半になってからはコツを掴んだのもあって、より短時間で、サクサク登録できたように思う。
***
今までは蜜柑さんだけが本の所在を記憶していたから、例えば、ぼくが岩波版『資本論』全9冊を持って来てと言われたら(なんとそれらはバラバラに配置されているのだ!)、書架を片っ端から見ていかなければならなかった。
ところが蜜柑さんは鼻歌かなんかを歌いながらフンフンフンと一分も掛からず集めてしまう。
つまり、在庫は一万冊あるのだから、ぼくと蜜柑さんのスコアは0対10,000ということになる。それをどうにかしたかったのがこの作業の始まりで、ようやく、いや対等になったとは言うまい。
まだまだ半人前には違いない。でも、いくらか役に立てるようにはなったと思う。
***
ところが、これで完了という訳でもない。
ここまでの作業は、あくまで現状の配置をぼくが知るための作業であって、配置そのものには手を付けていない。先の例で言うと、全9巻は今でもバラバラである。でないと蜜柑さんが困ってしまう。
だからここから先は蜜柑さんと話し合って、より合理的な配置に並べ替えていきたい。つまり今後は蜜柑さんにもデータベースで保管場所を確認してもらわなければならなくなる。
「いいわよ。そうしましょう」
「ありがとうございます!」
もう、好き過ぎる。
***
誰かを好きになると、その人がぼくの失われた半身のように感じることがある。魂の片割れ。もうひとりのぼく自身。あるいはぼくがあなたの片割れなのだと。
その可能性がないとは言えない。仮にそう考えてみる。するとそれを否定する証拠が見当たらないのを良いことに、妄想はどんどん膨らみ、そしてありもしない証拠らしき断片を集めては、さらに妄想を厚く塗り固めてゆく。
あるいはそれは水鏡に映る自分自身の像かもしれない。妄想は妄想だ。
***
自分とはまったく異なる他人が、生きて来た環境も、考え方や価値観も、交差することはあっても一致することはないふたつの視線のように、別々の場所にしか存在し得ない我々は、それでもすれ違いざまにふと影がぴたりと重なってしまうことがある。
それは確実にある。
だが次の瞬間、ぼくらはすれ違い、お互いの体をすり抜けて、気付かぬうちに相手を通り過ぎてしまう。そこには生の現実がある。
人を好きになるとは、だから本来の出発点は、そこでなければならない。けれどもぼくは、まだその手前でまごまごしている。
***
好き過ぎるとは、たぶんそういうことなんだと思う。
(第十五話に続く)
*見出し画像は@羽さんの作品です。
*関連エピソード:第二話、第四話、第十話
