第7回:信仰を求めて:ピルグリム・ファーザーズの上陸
1. イギリス宗教改革の背景
17世紀初頭のイギリスでは、国教会(イングランド教会)に対する不満が高まっていました。特に、教会の「純粋化」を求める人々は**ピューリタン(清教徒)**と呼ばれました。
そのうち、国教会からの分離を望む強硬派を**分離派(セパラティスツ)**と呼びます。彼らは宗教的迫害を受けていました。
2. オランダへの移住
分離派の一部は、信仰の自由を求めて、まずオランダのライデンに移住しました。しかし、彼らはオランダ社会に同化することを恐れました。
彼らは、自分たちの信仰と文化を守るため、新大陸への移住を決意しました。彼らこそが、後にピルグリム・ファーザーズ(巡礼父祖)と呼ばれる人々です。
3. メイフラワー号の出航
彼らはロンドンの商人と契約し、新大陸を目指します。1620年9月、約100人のピルグリムとそれ以外の一般人(ストレンジャーズ)がメイフラワー号に乗船し、プリマス港を出航しました。
彼らの目的地はヴァージニア植民地の北部でしたが、航海中に嵐に遭い、航路を逸れました。
4. メイフラワー誓約
船は現在のマサチューセッツ州、ケープコッドの沖合に漂着しました。ここはヴァージニア会社の管轄外でした。
上陸に先立ち、ピルグリムたちは船上でメイフラワー誓約(Mayflower Compact)に署名しました。これは、植民地の秩序維持のため、自治の原則と多数決による決定を受け入れるという、画期的な合意でした。
5. プリマスの設立と苦難
1620年12月、彼らは現在のプリマスに入植地を設立しました。彼らが上陸した場所はプリマス・ロックとして有名です。
ジェームズタウンと同様、最初の冬は極めて過酷でした。食糧不足と病気により、入植者の半数近くが亡くなりました。この冬は「死の冬」と呼ばれます。
6. 先住民の助け
翌春、生き残ったピルグリムは、地元の先住民であるワンパノアグ族との接触を得ます。特に、英語を話せるスクアントが彼らを助けました。
スクアントは、トウモロコシの栽培方法や、現地の漁労技術を教えました。これにより、植民地は立ち直ることができました。
1621年の秋、ピルグリムは先住民と共に、最初の収穫を祝う**感謝祭(サンクスギビング)**を催しました。
