【電車へのトラウマ | 心療内科での出会い | 人生が少し変わった日 | 適応障害を患い退職代行を使ったアラフォーパパの記録】
本日もご覧いただきありがとうございます。
たくさんのスキとフォロー、心から感謝しています。
今回は、
・新たな心療内科での出会いと友達の援助
について綴っていきます。
↓前回の記事はこちら↓
Cさんにお願いした新たな心療内科での受診は
数日後に行うことになりました。
お忙しい先生だそうで、スケジュールの調整に少々時間をくださいとのことでした。
私は、ここから受診日まで、
期待と不安を抱えた数日間を過ごすこととなります。
退職代行を行使してから2週間ほどが経過してましたが、
その頃の私はやはり浮き沈みが激しく、
そのうち沸点も低くなり、
ちょっとしたことにイライラするようになってきました。
生活にも変化が出て、
当たり前に普通に家事をこなせる日もあれば
1日中寝込んだまま夜を迎える日もありました。
この時、私が考えていたことは
「失業手当」のことです。
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※以下の内容は、あくまで私の体験談です。情報の真偽や適用には個人差があるかと思いますが、当時の私の判断をそのまま記載しています。
私は失業手当の申請がはじめてでして、
退職代行を使った際に
「失業保険サポート」というサービスのオンライン説明会を受けてたのですが、
よくインスタグラムなどで回ってる広告のような
「退職すると200万もらえる」的な触れ込みのサービスでした。
聞いてみると、
「就職困難者」というものに認定されれば
300日の失業保険期間になるというもの。
それを申請する為にお医者さん、社労士さんが書類を作ってくれるということ。
しかしそのサービスを頼むには前金で30万ほど払うということ。
先の生活がどうなるか不安しかないのに、
そんなお金は払えないとお断りしたのですが、
当時の私は
「そんな仕組みがあるのか、自分でも試しにやってみるか」
と思ってしまったのです。
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これがよくありませんでした。
無駄に色々調べては一喜一憂。
あとになって「余計な情報を仕入れてしまった」と後悔しました。
おかげで失業手当に関してはかなり不安を抱えた状態で過ごすことになりました。
話が少し脱線してしまいましたが、
ご紹介いただいた心療内科。
私は、勢いでお願いしてしまったものの、懸念点がありました。
実はこの頃、私は前職の恐怖感があり、
電車に乗る事ができませんでした。
前職は最寄駅から乗り換えなしで25分ほどの場所。
単線でもあるので、前職場方面に行くか、反対に行くかのどちらかしかありません。
そして、何より怖かったのが、
電車に乗った際に前職場の人と会ってしまう事でした。
退職代行を使ったことに対する引け目は当然ありました。
万が一顔を合わせたら何を言われるかわかりません。
今の精神状態で1番避けたいことでした。
どうしようかと考えてると
心療内科の受診日がいよいよ決定しました。
覚悟を決めるしかないか・・と思っていたところ、
地元の友達から久々に他愛もない連絡がありました。
※Dさんとします。
Dさんは私の現状を知らないので、
やり取りをしてると自然と私の話になり、
私は全てを説明しました。
すると
「車、出そうか?」
と言ってくれたのです。
今の私にとって、こんな有難い提案はありませんでした。
ありがたくお言葉に甘え、私は日時を伝え、
後日Dさんと共に心療内科へ向かうこととなりました。
散歩以外での外出は久々ですし、
電車に乗らないとはいえ、
不特定多数の人がいる場所に行くことへの恐怖でした。
いい加減慣れてきた中途覚醒と
その後の不眠。
私は受診日の朝も4時間半の睡眠、早朝5:00に起床してしまい、
もはや日課になった朝の散歩に繰り出しました。
路肩に座り込み大通りを走る車を見ながら、
私は缶のハイボールを飲み始めました。
この頃も私の飲酒量は変わらずどころか悪化しており、
朝から寝るまでお酒を飲んでる状態でした。
車を見ながら新たな心療内科への緊張を抱え、
私は改めて「なぜこうなってしまったのか?」を
改めて自問自答していました。
人間関係のストレス
ハラスメントや圧によるストレス
家族との時間を取る事ができない拘束時間
=「家族を守れない」
いくら考えても最初に思ったことと何一つ変わってませんでした。
散歩を済ませ、
いつも通り私は子供を保育園に送り届け、
出来る限りの家事をし、
いよいよ私は新しい心療内科へ向かいます。
「怖い。怖い。」
車の中で口には出しませんでしたが、
私はずっとそう心の中で呟いてました。
いざ、病院の前に着き、
友達から「いってこい」と一声もらい、
私はクリニックに向かいました。
中に入ると、
それなりに広いロビーに
所狭しと患者さんが座って待っていました。
「こんなにいるんだ・・」
これが最初の感想でした。
もちろん全員が自分と同じ症状だとは思いませんが、
心療内科という病院にこんな大人数がいると思ってなかったのです。
私は人の目が気になり、隅っこの方に座り、
名前が呼ばれるまでひたすらスマホを見て過ごしました。
時折、体が震えてたような気がします。
1分経つのがだいぶ長く感じる空間で、
やっと私の番号が呼ばれました。
診察室に入ると
「こんにちは」と
優しそうな年配の先生が迎えてくれました。
Cさんから後付けで聞いたのですが、
この先生はクリニックの院長先生で、
新規の予約は受け付けておらず、
Cさんのご紹介という事で診ていただくこととなりました。
一通りに挨拶を済ませると、
先生は私の生い立ちを聞いてきました。
幼少期・・は流石に覚えてないので、
小学生の辺りから話し始めます。
そこから中学、高校、高校卒業後、
フリーター時代、最初に就職した企業の話、
退職したあと、前職に入社するまでの空白の期間、
そして前職でのこと。
今度は「私」という人間の話を聞かれました。
私は本音で先生に伝えました。
”
私は自分から意見をいうことを控えるようになっていました。
聞き役に徹し、誰かが望んでる事が
うまくいくよう立ち振る舞っていたと思います。
そうすると自ずと自分の気持ちを言える人がいなくなってしまい
誰にも自分のことを言えなくなってしまった。
友人、知人、職場の人間に限らず、
それは家族に対してもです
”
なぜでしょう・・。
私がずっとバレないように包み隠してたことを
この先生には気兼ねなく話す事ができたのです。
先生は話を聞き終えると、
「あーしろ、こーしろ」というわけでもなく
「適応障害は間違いないね」
と一言。
そして気分の浮き沈みが激しく、睡眠がまともに取れないと伝えると
薬を処方しますので、それで様子を見ていきましょう。と。
私は薬だけは避けたいと思ってましたが、
この先生に言われたんなら、薬を飲もうと決意しました。
これで自分が楽になるんだったら・・と願いを込めて。
結果、私にとって、、
あくまで私にとってですが、
私はとても素晴らしい先生と出会えたと思いました。
先生はもう一言話します。
「アルコール依存症でもあると思う。お酒も控えようか?」と。
内心「ですよね」と思いながらも、
前向きに善処しますと伝えて、この日の診察は終了しました。
Dさんに家まで送ってもらう車の中、
高速道路から見えるビルがとても綺麗に見えました。
ここから私の生活が徐々に変わっていく。
そう思えたことが、今の自分にとって何よりの一歩だったのかもしれません。
次回は
・薬を服用してからの生活の変化
・アルコール依存症からの脱却
について綴りたいと思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
