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「やらないといけないこと」で埋め尽くされた僕が、再び動き出す

コロナをきっかけに、僕は自分を見失っていたことに気づいた。
これは、僕が僕自身を思い出し、そして取り戻すまでの物語。

ある日、突然始まったテレワーク。
つい昨日まで、出社して働くことが当たり前だったのに。

今まで生きてきて、ここまで当たり前が根底から覆されたことは無かったような気がする。

そこから、僕の新しい「旅」がはじまった。

最初の1年くらいは、仕事の成果に対する漠然とした不安があった。
だから、出社していた頃よりも、なんだかんだで働いてしまっていたと思う。
仕事環境へのアクセスが手軽すぎことで、ちょっとした合間の時間にもパソコンに向かってしまい仕事を進めていた。

今思うと、あの頃の不安は、仕事の成果そのものよりも、不安定な明日に対する漠然とした恐怖を、「働く」という行動で誤魔化していたのかもしれない。

1年も経つと、僕もチームもテレワークにこなれてきた。
もともと僕がいたチームの業種的にもテレワークはうまくハマったようで、むしろ、出社していた頃よりチーム内の生産性と質は格段に向上し、ついでに幸福度も増したと思う。

そして僕自身も、昔より自分自身について考える時間を、意識的に持つようになっていった。

そんな中で、一日の仕事時間が溢れるくらいのタスクで埋まっていないと落ち着かない、という自分自身の「異常性」に気付く。

僕の一日は、やりたいことではなく、「やらないといけないこと」で埋め尽くされていた。
しかも、それが埋め尽くされないと気持ちが悪いとさえ感じていることにも。

これに気付いた時、僕は途端になんだか怖くなった。

ここまで僕の中で当たり前になり、しかもそうじゃないと落ち着かないほど、僕の感覚は麻痺してしまっていたのだ。

試しに、「やらないといけないこと」と「やりたいこと」を紙に書き出して比較してみようとした。
すると、ここでも恐ろしいことに気づかされる。

「やりたいこと」として書き出したことは、よくよく考えてみると、結局「やらないといけないこと」の延長線上にあるものばかりだったのだ。

僕は、自分自身というものを無視して生きているのではないか?

この問いを自分に投げかけた瞬間、「まじで変われるものならすぐに変わりたい」って本気で思った。

とはいえ、何からどうしたらいいのか、皆目見当もつかない。
ひとまず部屋を掃除からはじめてみた。
次に、着ていない洋服を思い切って断捨離した。
身の回りのモノを、ひとつずつ手放していった。

仕事も、何でもかんでもやるのではなく、「今、本当に必要かどうか?」を基準に判断し、今じゃなくていいことは、強い意志を持って「やらない」と決めた。
この「やらない」「受け取らない」というのは、結構難しくて、体に馴染むまでになんだかんだ1年くらいかかった気がする。

あと、本も、これまで以上に意識的に読み始めた。

運動も取り入れてみた。
ジムに行ったり、YouTubeでHIITに挑戦してみたり、ただ散歩してみたり…。なかなかしっくりくるものは見つからなかったが、それでも、とりあえずやってみた。

次に、興味を持ったり、ワクワクしたりと、自分の好奇心を少しでもくすぐるモノには、とりあえず触れてみることにした。

そんなふうに、やってみては続かなくてやめて、また別のことをやってみる。そんなことを繰り返しながら、一年ぐらいが過ぎていた。

ある日、ふと家から歩いて行ける距離に森があることを思い出した。
そこで、気まぐれで森の中を散歩してみた。

そこで僕は、自分についてひとつの大きな発見をする。

森の中にいると、すごく幸せを感じていること。
そして、心がワクワクしていること。

理由はわからないけれど、僕を癒し、ワクワクさせてくれる。
最初の頃は道がわからないからなんだか冒険しているみたいだ。
僕は森の散歩を、日課にすることにした。

きっと、これをきっかけに、僕の中で何かが、そして色々なことが変化していくことになる!そんな予感がしたんだ。


つづく・・・

追記
続きの記事。


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