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森を歩くことで、僕は自分の中に眠っていた何かを思い出し始めた。

この記事の続き。


森を散歩し始めて数週間。

なんとなく胸にGoPRO付けて歩いてみたり、雨の日も雨具装備して散歩してみたり、薄暗い夕方に散歩してみたりと、色々な表情の森を散歩した。

ちなみに、僕は真夏の森は苦手だ。
木陰は涼しくて、とても良い点も多い。
でも、僕にとっては、周りからの主張してくるエネルギーが強すぎる気がして、僕自身がなんとなく戦闘モードというか、安らぎとは反対のモードに入りやすい。

スズメバチやクマバチなどに遭遇すると、息を潜めてその場を離れる。
僕が一番好きなのは真冬の森。

話を戻そう。

森の中を歩いていると、個人的に何故かすごく気になる木と出会った。

細い幹で、風の強い日には折れてしまうのではないかと心配になる木。
何年も前に折れてしまった森一番の太さの切り株。

心配になる木は「頑張れの木」。
森一番の太さの切り株は「主」。

そのように僕は一人で呼んでいる。

それから、森に行くとこの2本の木には、個別に挨拶するようになった。
「頑張れの木」は枝葉に緑があるかなど観察し、「頑張れ!オレも頑張る!」っと拳をグッと握る。
「主」に対しては「お邪魔します。いつもありがとうございます」っと手を合わせる。
他の散歩者と鉢合わせると、最初は恥ずかしかったが、今では特に気にならない。

そんな風に散歩が日課になってくると、自然の中にある不自然なものが気になり始めた。

ゴミだ!

吸い殻が一番多い。
あとはビニール袋や飴の袋、ティッシュ。
ペットボトルや空き缶なども目立つ。
コンビニ弁当の容器が入ったコンビニ袋など、明らかに落とし物ではないものばかり。

気になってからはなんか我慢できなくなり、僕はコンビニの小さな袋を片手に、散歩しながらゴミを拾うようになっていた。

最初の1ヶ月くらいはゴミに困らなかった。
ゴミに困らないという表現もおかしいが、行けばゴミが袋いっぱいになる。

しかし、3ヶ月もすると、ゴミが少なくなっていく。
ちょっと前までゴミで袋がいっぱいだったのに。

ちなみに、僕はゴミを素手で拾っている。
ゴミ拾いがメインではない。
散歩がメインだからだ。

ゴミのありかは、不思議と森が教えてくれる気がした。
なんとなくこっち行ってみよう!
ふと思いつきで歩き出すとゴミに出会う。

2人の息子と森に行くときも息子にゴミがあったら教えて!っと伝えている。
息子も元気よくゴミを見つけて僕に教えてくれる。

ただ、残念なことに粗大ごみは流石に持って帰れない。
自転車、ヘルメット、掃除機などなど。。。

多少なりともましになるように、粗大ごみは可能な限り人が通る道に移動させ、通行の妨げにはならないくらいの目立つ場所に移動させてみた。

そんなことを続けていくと、不思議とゴミが減っていくんだ。
やはり、ゴミが落ちていないと、新たなゴミは捨てにくいのかもしれない。


そんなことをしている僕に対して、森はプレゼントをたくさんくれた。
キツツキの木をつつく音。
蝶々が風雅に踊っているところ。
リスに出会えた時は興奮した。
木々を見ていて、そこには目に見えない大きなエネルギーがあるような気がした。

そこでふと頭に浮かぶ。

自然を崇拝するってどんなことなんだろうっと。

昔の人は全てに神が宿ると言っていた。
ジブリの世界観がイメージしやすいと思う。
そして、僕は情報を集め始めた。

どうやら、縄文時代の日本や、インディアンなどが僕の求めている情報にアクセスできそうなことがなんとなーく見えてくる。

余談だが、昔から好きな映画に Wood Job があるが、それも見返した。
トトロも見返した。

自分の直感というか、読みたいっという衝動を信じて、適当に本を選んで買った。

手にした本の中に、Hopi族(アメリカ先住民)について書かれた本があった。

この本は、僕が何も考えずにそのまま過ごしていたら、出会うことが出来なかった方たちとの出会いにつながっていくことになる。

つづく・・・

追記
続きの記事。


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