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あれから今日で3年。

愛犬が肉体を失って、ちょうど3年が経った。

毎年1月13日が訪れると、やはり少しだけ胸の奥が寂しさで満たされる。

といっても、僕たちの日常から愛犬が消えたわけではない。
今も、すぐそばにその存在を感じている。

「おはよう」

「行ってきます」

「ただいま」

「おやすみ」

毎日の挨拶は、当たり前のように彼に向けて交わされる。

時々、仏壇の前に茹でたささみをお供えしたりもする。

息子たちも、ふとした日常会話の中で、ごく自然に愛犬の名前を口にする。

だから、命日だから特別に思い出す、というのとは少し違う。
僕たちは、毎日彼を思い出しているのだ。

それでも、命日は「あれから何年経ったか」を静かに認識させてくれる、特別な日であることに変わりはない。

実は昨年末の大掃除で、愛犬の洋服とおもちゃが大量に出てきた。

3年前のあの日、悲しみに耐えきれず、かといって捨て去ることもできずに、ただ家の奥底へと仕舞い込んだものだろう。

それらを不意に発見した時、心がきゅっと締め付けられるのを感じた。

しばらくの間、僕はその服やおもちゃを、ただ、ただ、眺めていた。

そして、ふと、ひとつひとつの匂いを確かめるように嗅いでみた。

そのほとんどは、もう洗剤の匂いしかしない。

でも、たった一枚の洋服から、懐かしい愛犬の匂いがしたんだ。

僕は狂ったように、その匂いが消えてしまわないように、鼻を押し付けて深く、深く、吸い込んだ。そこには、彼の毛もいくつか付着していた。

何分くらいそうしていただろう。

時の感覚がなくなるほど、長い時間、僕はその匂いに浸っていた。
しかし、永遠には続かない。
しばらくすると、幻だったかのように匂いは薄れていった。

その、匂いが消えた瞬間、僕は不思議と決心することができた。

これらの思い出の品々を、すべて写真に納めて、感謝とともに手放そう、と。

彼がよく着ていた洋服は、3年前に仏壇へと納めてある。

今回出てきたのは、次の役割を見出せない、けれど愛おしい思い出の品々だ。

また一歩、前に進む時が来たのかもしれない。

僕はひとつひとつ丁寧に写真を撮り、「ありがとう」と心で伝えながら、袋に詰めていった。

3年。

長いようで、短いようで。

なんとも言えない不思議な時間。

当初のどうしようもなかった喪失感を思えば、3年という月日で、よくここまで自分も向き合えるようになったなと、我ながら少しだけ驚いている。

次の一年、また新しい一歩を確かに歩めるように。

まずは、この一年を丁寧に生きていこうと思う。



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