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恨むという感情が生まれにくい僕なりの理由

人を恨むという記憶は正直ほとんどない。

父親に対してはあったが、友人や恋人など、自分で繋がった他者に対しては思い返しても恨むという記憶がない。
だから、僕が恨むことはないし、下手したら誰かから恨まれていても気付けない可能性すらある(ごめんなさいmm)。

なぜ恨むという感情が生まれにくいのか。
ただ僕がサイコパスなのか。

何か発見が隠れてないかなーっと思ったので、そこを自分なりに自己分析してみたくなった。

余談だが、恨む怨むChatGPTくんに聞いたところ、ニュアンスを一言で言うと

  • 「恨む」= 心にわだかまる不満や憎しみ

  • 「怨む」= 復讐心を伴った深い怨念

らしいです。
怨むとかマジで全然無いので、今回は恨むのお話。

期待しない生き方が恨みを防ぐ?

友人や恋人に対して恨むまで行かないことについて考えてみる。

たぶん僕は基本的に相手に対して過度な期待は持たない。
そして、現状を良しとする傾向が強い。

だから、落胆とか、期待を裏切られるという感情がそもそもあまりない。
だいたいのことは
「あー残念だけどこんな感じかー」
くらいで止まる。
そして気持ちを切り替える方向に自然とシフトする。
または、その状況を面白い方向に解釈し始める。

以前、記事にもしたが、これは僕の人生観の根幹にある「OK.OK理論」(と僕は呼んでいる)と深く関係しているっぽい。
何か期待していたことが思うようにいかなかった時、僕は
「あ、今回そういうパターンね!」
と受け止める。
それはまるでガチャを引いて、期待していたレアカードが出なかった時の感覚に似ていて、残念な気持ちは湧くけれど、それはババ抜きでババを引いた時と同程度のものまで落ちる。

期待を持ちすぎると、それが裏切られた際にショックを受け、前に進みにくい時間が生まれる。
でも期待しなければ、減点となる出来事が大幅に減り、ポジティブな要素だけが積み上がっていく感覚がある。

自分で選んだ関係性の特別さ

「自分で繋がった他者」という表現を使ったが、これにもなんか意味がある気がする。

僕にとって友人や恋人は、自分の意思で選び、相手も僕を選んでくれた特別な関係だ。
そこには内発的な動機がある。
お互いが「この人と一緒にいたい」と思って始まった関係性。

そんな関係で何か問題が起きた時、僕は相手を責めるより先に「なぜこうなったんだろう」と考える。
相手にも事情があるだろうし、僕にも至らない部分があったかもしれない。そう考えると、恨むという感情よりも、理解しようとする気持ちの方が強くなる。

それに、僕は感情を貴重なエネルギーだと捉えている。
心で繋がれる相手には感情をエネルギーとして全力で向き合いたい。
でも恨みにエネルギーを使うのは、なんだかもったいない気がする。
なんとなく循環は生まれない印象がある。
そのエネルギーがあるなら、関係を修復したり、より良い未来を作ることに使いたい。

唯一の例外:父親への恨み

唯一の恨むという感情が生まれた父親から考えてみる。
これは父親という役割に対して、期待していたからだと思う。

父親は僕にとって1人しかいない。小さい頃は僕の世界の支配者だった。
つまり、僕の自由を僕の意思関係なく奪う存在だ。
また、同時に大切な母親に対して攻撃的で、僕は父親に 敵意 というものも持っていた。

存在への疑いと、敵意が合わさっていたから恨んでいたのかもしれない。

父親との関係は、僕が選んだものではない。
生まれた時から存在していた、避けることのできない関係。
そして幼い僕は、父親に対して「父親らしくあってほしい」という期待を抱いていた。
優しくて、家族を守ってくれて、僕を導いてくれる存在であってほしいと。

でもその期待は何度も裏切られた。
ブログでは書けないような父親の行動も僕を落胆させた。
そして僕には逃げ場がなかった。
子どもだった僕には、その状況から抜け出す力がなかった。

期待があって、逃げ場がなくて、それでも現実は変わらない。
そんな状況が続き、まだ成熟していなかった僕だったので、恨みという感情が生まれたのかもしれない。

敵意があるか無いかがポイント?

この自己分析を通して、恨みという感情の構造が見えてきた気がする。

恨みが生まれる条件:
1.相手への期待がある
2.その期待が繰り返し裏切られる
3.その状況から逃れることができない
4.相手に対する敵意が芽生える

特に、4の敵意という部分が大きいと思った。
敵意は、相手を攻撃したくなる感情がセットだと思う。
3のところまでで終わると、一人で傷ついて苦しむで止まる。
その記憶は思い返すと、ポツポツある。
僕は4に発展しにくい傾向があったようだ。

唯一、父親を恨んだのは、4までの条件が揃っていたということか。

逆に、恨みが生まれにくい条件:
1.相手への過度な期待を持たない
2.現状を受け入れる姿勢がある
3.関係性を選択する自由がある
4.相手への理解や共感を持とうとする

ある程度大人になってからは基本このパターンが多い。
だからそもそも恨むという感情にたどり着かないっぽい。

恨みを手放すということ

今の僕は、父親に対する恨みも手放している。
それは父親が変わったからではない。
僕の受け取り方が変わったからだ。

幼少期の両親の夫婦喧嘩の仲裁経験や、父親の行動によるネガティブな現実に直面し、そこから逃れられないと悟った時、僕は「受け取り方を変える」という選択をした。
ネガティブな現状の裏には、目には見えないポジティブなものがあるはずだと考えるようになった。

父親の行動は確かに僕は傷ついた。
でもその経験があったからこそ、僕は現在の価値観を築くことができた。
期待しない生き方、現状を受け入れる姿勢、感情のエネルギーを大切にする考え方。
これらは全て、あの困難な体験からが無いとたどり着けないと思う。

恨みを手放すということは、相手を許すということではなくて、その出来事を自分の成長の糧として受け入れるということという仮説が出来た。

さいごに

恨みという感情について考えることで、自分の人間関係の築き方や感情との向き合い方の歴史も見えてきた。

僕は恨まない人間だと思っていたが、正確には「恨みが生まれにくい環境を自然と作っている人間」なのかもしれない。
期待しすぎず、現状を受け入れ、関係性を大切にする。
そんな生き方が、結果的に恨みという感情から僕を遠ざけていることを知った。

まぁ恨みにエネルギーを使うより、より良い未来を作ることにエネルギーを使いたいし、ここまで整理してみて思うのが、そんな生き方の方が、シンプルに楽しそう。
そして、きっと自分も相手も幸せになれると僕は思うので、次に何か壁にぶつかるまでは一旦このままでいいやっと思った。

おしまい。


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