「嫌だな」と思った自分を、責めなくてよかった
「嫌だな」と思う気持ちは、
できれば持ちたくないものだと思っていた。
そんなことを思う自分は、
冷たいのではないか。
未熟なのではないか。
ちゃんとした大人じゃないのではないか。
だから多くの人は、
「嫌だな」を感じた瞬間に、
それをなかったことにしようとする。
見ないふりをして、
気づかないふりをして、
「やるべきだから」と自分を動かす。
でも、後からどっと疲れたり、
意味もなくイライラしたり、
「なんで私ばっかり」と心が荒れたりする。
それは性格の問題ではなく、
判断の順番の問題なのかもしれない。
「嫌だな」という感情は、
行動を止めるためのブレーキではない。
それは、今の自分の状態を知らせてくれるサインだ。
たとえば、
体は疲れているのに予定を詰め込みすぎているとき。
気を遣いすぎる相手と、長時間一緒にいようとするとき。
本当は余裕がないのに、頼まれると断れないとき。
そのときに浮かぶ「嫌だな」は、
わがままではない。
逃げでもない。
「今の条件では、少し負荷が大きいですよ」
という、内側からのお知らせだ。
問題になるのは、この感情をそのまま行動に直結させてしまうことでも、逆に、完全に押し殺してしまうことでもない。
大事なのは、
いったん受け取ってから、横に置くこと。
「嫌だな」と感じた。
それは事実。
では次に、
・時間はどうか
・体力はどうか
・安全面はどうか
・代替案はあるか
と、感情を抜いた事実を見る。
すると不思議なことに、
「やるか、やらないか」だけではない
第三の選択肢が見えてくることがある。
条件を変える。
距離を縮める。
時間をずらす。
誰かと分担する。
「全部引き受ける」でも「全部断る」でもない道。
感情を持たないことが強さなのではない。
感情に流されないことが大人なのでもない。
感情を判断に使えること。
それが、本当の意味での強さなのだと思う。
「嫌だな」を感じられる人は、自分の限界に気づける人だ。
そして限界に気づける人だけが、
無理のない選択を積み重ねていける。
「嫌だな」と思った自分を責めなくていい。
それはあなたが弱いからでも、人として足りないからでもない。
むしろ、ちゃんと感じている証拠だ。
その感情を一度受け止めて、
「じゃあ、どうする?」と事実を見る。
それができたとき、線引きは自然に生まれ、無理は減っていく。
自分を守る判断は、
冷たさではなく、誠実さから生まれる。
