250412 桜吹雪京都花の山巡礼
輪行ポタリング紀行 007
前回の輪ポタで花山院のことについて書いたら、急にゆかりの地を訪ねたくなりました。兵庫には入滅されたという伝説の地、菩提寺がありますが、主な場所はそこぐらいしかありません。そこで、お花見もかねて京都へ行くことにしました。

1 出発

これが京都の繁華街
午前7時前、阪急電車京都線の終点、河原町駅で下車しました。早速自転車を組んで出発。でも、河原町通は自転車進入禁止です。そこで、朝なら自転車も通ることができる寺町通を北上することにしました。ボクにとっては身近な通です。子供の頃に通っていた銭湯や、「ひよこ釣り」という悪夢のような夜店がありました。今も家のお墓もあります。
2 御所の辺り
(1) 廬山寺

建立は幕末
京都御苑の東、寺町通を挟んで、清和院御門の北向かいに廬山寺があります。「ろざんじ」と濁って読むのが普通のようですが、我が家では「ろさんじさん」と澄んでお呼びしていました。ずっとお世話いただいている累代のお墓があります。京都へ帰ってきたら、寺の奥さまや若奥さまに見つからないようにこっそりと、亡き父母に「ただいま」を言いに行くようにしています。
(2) 梨木神社

神功皇后が鎧を浸したそうです
廬山寺の西、寺町通を挟んだ御苑との間に梨木神社があります。昔々、学習塾をやっておられました。確かうちの兄貴が通っていたと思います。近くには親戚の家もあります。別名「萩の宮」。500株以上植えられた萩の名所です。花は可憐なのにうっそうと茂ります。子供の頃、秋の夜に来ると魔物に見えて怖かった。
(3) 花山院邸跡

争事の現場です
清和院御門から御苑に入って東進します。清水谷家の椋を左に折れて南下すると、左に、退位後、花山院が亡くなるまでお住まいになった邸の跡があります。『大鏡』によると、藤原隆家との「争事」があった場所です。長徳の変の前哨戦ともいうべき紛争でした。手の付けようがない「狂ひ」と評された花山院の勝ち誇った高笑いが聞こえてきそうです。
3 洛中
(1) 紙屋川上陵

白砂に刷毛目がくっきりと残っています
京都御苑を出て北西へ向かいます。目指すは花山院の御陵。初めて来ました。住宅街の中にポツンと残されていました。小さな方墳のようですが、楠でしょうか、大木が見事に茂っています。参道も美しく清められていて、御近所の方の尊崇が感じられます。院は1008年3月17日、40歳の若さで崩御されました。最後に、今一度、桜が見たかったと思われたのではないでしょうか。
(2) 平野神社

樹齢100年以上の古木です
御陵の南にある平野神社は、京都で最も古い神社の一つです。985年、17歳の花山院は天皇に即位して初めての春を迎えられました。平野神社へ行幸され、桜の樹を御手づからお植えになったといいます。以来、桜の名所として、4月10日には時代衣装を着飾った行列が練り歩く桜花祭が開催されています。朝だったので人も少なく、咲き残る桜をゆっくり楽しむことができました。
(3) 市比賣神社

平野神社から一気に南東へ、五条河原町に小さな市比賣神社があります。母神が童神を抱いた御神像が花山天皇勅作と伝えられる女人守護の神社です。本殿が北向き、つまり御所を向いています。天皇家とのつながりが深く、天之真名井の水は歴代天皇の産湯に用いられます。今朝も近所の御婦人が一心にお参りされた後、ペットボトルに大事そうに水を汲んでおられました。
(4) 花山天文台

京都の建築家、大倉三郎の設計
五条通(国道1号線)で東山を越えようとしましたが道に迷って、結局、東山三十六峰の一つ花山を登ることになりました。標高221m。頂上に京都大学の天文台があります。1929年設置だから、もうすぐ100年となるモダニズム建築です。重力駆動型日周追尾装置を持った口径45cm屈折式天体望遠鏡が現在も観測しているそうです。
4 洛外
(1) 元慶寺

花山を北の三条通に降り、山科へ向かい、元慶寺へ行きました。一度行ったことがあったのにかなり迷ってやっと着きました。今も教科書に載る「花山院の出家」のクライマックス、剃髪の舞台です。庭の掃除をしていた方が「先の戦で小さい寺になりました」とおっしゃっていました。京都人にとって「先の戦」は応仁の乱です。ホンマですよw
(2) 花山神社

元慶寺の南にある小さなお稲荷さんは、花山院が厚く敬われたので「花山」の名をいただいたと言います。祭神の一柱に市比賣大神がいらっしゃって、「稲荷さんのおふくろ神様」として親しまれているそうです。この地は全国3万と言われる稲荷の総本社、伏見稲荷大社の裏手だし、近くには忠臣蔵の大石内蔵助も隠棲していたし、なかなか深いところのようです。
(3) 十輪寺

東山の谷あいを抜けて京都盆地へ戻り、今度は西山を目指します。黙々と走って、やっと着きました。花山院は出家後、西国観音霊場巡礼に挑みました。旅の無事を願って十一面観音像を背負って行ったそうです。巡礼が終わり、最後の善峯寺へ向かう際、十輪寺で観音像を下ろして安置しました。当寺の草分観世音像のいわれです。あと少しで満行なのに、なぜ途中で降ろしたんでしょうか。
(4) 善峯寺


十輪寺からさらに2㎞ほど山を登ります。大阪府との境となる釈迦岳の中腹に西国三十三所、第二十番札所、善峯寺があります。標高は本堂が305m、薬師堂が367m。山の桜はちょうど今が満開でした。やはり応仁の乱で荒廃しましたが、徳川綱吉の生母、桂昌院によって現存する鐘楼などの諸堂が再建されました。「天空の寺」ともいわれる花の名所です。
5 到着

40分後、取りに戻ったら元の場所にありました。日本大好き
善峯寺からは西国街道を高槻市駅まで。西国街道は巡礼の旅に出た花山院も歩いたことでしょう。千年の昔と、山の稜線は変わらないはずです。どんな気持ちで眺めておられたのかと思っているうちに駅へ着きました。
