トークイベントから、おしゃれな日用品のショップを経由して、居心地のいいカフェまでたどり着いた。
おしゃれな場所には、今も少し気おくれしてしまう。
さすがに、歳を重ねると、そのビビり具合いや、腰がひけている気持ちを、露骨に表に出さずに済むようになっているはずだけど、きれいで、しかもセンスがいい街並みが続くところに足を踏み入れたりすると、そこに生息しているスタッフや、さらには道を歩く人々まで、おしゃれ、という形容詞が形になっているように見えて、微妙なめまいなようなものを感じることがある。
だから、そういうゾーンは、自分にとっては結界が張られているような気持ちがする。
アートとおしゃれ
ただ、とにかくファッションとかセンスが必要とされるものは、小さい頃から縁がないせいか、自分とは関係ないものとして生活してきた。
それが、少し気持ちが変わってきたのは、30歳を超えて、アートに興味を持ち始めてからだった。その変化が、どうしてなのか、自分でもよくわからず、だけど、人に聞いたら、中年の危機だからでは、みたいな説明もされたが、その後、細々とだけど、ずっとアートに触れてきた。それも現代美術、現代アートと言われる作品に、より興味を持てるようになった。
アートを見るようになって、気がついたら20年以上が経っているのだけど、不思議なことに、気持ちが落ち込んだ時ほど触れたくなった。いつの間にか、アートは自分にとっては必要なものの一つになっていたのだけど、ただ作品を購入するような経済的な豊かさはないままだった。
だから、とにかく鑑賞する側にいるだけだったけれど、そのことによって、少し変化してきたのが、おしゃれなものに対する気持ちの持ち方だった。
アートに興味を持つ以前は、とにかくおしゃれな人やものは、まぶしすぎて、見えないものに近かった。それは、もともとがきれいに生まれていたり、センスという文化資本に恵まれている人のもの、という先入観が強く、近寄ってはいけないもののように感じてきたのだけど、アートを見るようになって、その感じが変化してきたのに、何年か経って気がついた。
特に現代アートから引用して、それをもっとなめらかにして、おしゃれにしているようなことは、思ったより多いのではないか。そんなことに気がついてからは、以前よりも、おしゃれな存在に対しての怖さは減ったと思う。
それでも、何かのきっかけがなければ、自分からおしゃれを探すようなことはしないのは、やはりセンスのようなものが欠けているし、それは、色々な意味で素質に恵まれた人のもの、という思いは変わらないせいだろう。
トークショーから、おしゃれな日用品のショップへ
それでも、おしゃれに気おくれしながらも、アートに関係していることを知ると、行ってみたくなる。
トークイベントで、アートプロジェクトの一環としてショップを運営しているらしい話を知ると、それまで行くことにはちゅうちょしていたのに、その近所に行く用事があったときに、妻と一緒に出かけたりもした。
そのときは行ってよかった、と思えた。
おしゃれだけではなくて、少し理解できないようなグッズも置いてあって、それはアート寄りの商品のような気持ちもして、壁には作品の展示もしてあり、来てよかったと思えた。
そういう場所はスタッフもおしゃれだから、そういう気配にやっぱり少し気後れをしつつも、そこでカフェの話も聞いた。
このショップからは、さらに徒歩で5分以上。確か、公共の会館のような場所(何かの研修に参加するときに行った記憶があったところ)に、すでに開店しているらしい。
やっぱり、アートプロジェクトの一環のようだし、この古くからの門前町で、どんな飲食店にするのだろう、という興味もあったが、このときは、そこまで脚を伸ばす余裕はなかったし、次にこの街に来る予定はったけれど、しばらく先だった。
ショップからカフェへ
それから何ヶ月か経った。
池上の町で、用事が済んでから、どこに行くか?を妻と相談をした。
少し前に、沿線の情報が載っている鉄道会社が出しているフリーペーパーに、この街が特集されたことがあった。
それを検討していたら、本屋とか飲食店など魅力的で、妻も行きたいというような店も少なくなかったが、自分たちがそこに行く曜日には開いていないところが多かった。
その候補の中で開店しているのが、何ヶ月か前に、おしゃれなショップで聞いたカフェだった。だから、行くとしたら、その場所になった。
用事を済ませて、時間ができる。
ちょうど、午後3時くらい。
今日は開店しているかどうかも、改めてホームページで確かめて、そして、メニューを見たら、フードはカレーだけが写真で紹介されていた。この時間帯なので、妻の食事量を考えたら、ちょっと多くて不安だったけれど、他にあるかも、という妻の見方もあったが、これだけしっかりとホームページに書いてあるので、他はないのでは、という、やや不毛な会話もしながら、歩く。
古くからの門前町。
そこに新しい色々な店も増えてきている。
途中に路地があり、そういう場所は、妻は好きなので、曲がったりすると、小さいけれど、面白そうな店がある。そのうちの一つの店で、ちょっとかっこいい灯があったら、今日は休みだけど行きたかった店だった。
そうした街歩きも久しぶりで、道端には思ったよりもさまざまな植物もあって、私よりも妻の方が楽しそうだった。よかった。
目的の会館は行ったことがあったはずなのだけど、久しぶりだからその場所を忘れていたせいもあって、遠くに感じる。
そういえばこの池上で、ドラマなどでよくロケ地に使われる古い木造の建物をリフォームしたようなカフェがあったはずだと思い出し、その話をしたら、今歩いている通りではなく、さっき見かけたもう一本の、もう少しあっちにあるはず、と妻が指をさしながら教えてくれた。
桜が咲いている。もう緑の葉っぱも混じり始めている。
ヤマザクラかも、という話をしながら、歩く。
会館に着いた。ここで確か研修をしたのを思い出した。昔からの公共の建物らしく、しっかりしたつくりだった。
カフェの時間
カフェの入り口は、外からダイレクトにそのまま入れる場所があった。だけど、会館の自動ドアから入ったのは、中で何かイベントをしているかも、という予測があったからだけど、少し暗く感じるロビーの掲示板のようなところには、麻雀教室といった、公共施設らしいお知らせがあった。
その場所からでも、目指すカフェの入り口はある。
中に置いてあるフライヤーや、よくわからない小物や、飾られている絵画が、ちょっとだけ非日常の気配がある。それはアートといっていいものたちだった。
すでに、お客さんが何組かいる。ソファーの席は常連のような気配を出している女性が座って、すでにくつろいだ空気を出している。テーブル席には、3人の高齢女性があり、止まらない会話をしている。どのくらい前から続けているのか予想ができないくらいの感じがしたが、楽しそうだった。奥の席では、おしゃれな男性と女性が座っている。
カウンターで注文をして、そこで支払いもするシステムだった。
メニューを確認したら、カレーだけではなく、パニーニや、スペイン風のサンドイッチ(?)などもあって、妻は安堵していた。それで、少し迷って、オレンジジュースと、パニーニのパンの硬さを確認してから、それを注文した。私は、カレーとコーヒーにする。
それから、窓際の席に座った。
窓はロールカーテンのようなもので直接の陽の光はカバーされているけれど、でも、あたたかい日差しのようなものは感じる。外にもテーブルはあって、犬を連れた男女の二人組が座って、アルコールを飲んでいるようだ。ガラス越しでもリラックスした空気は伝わってくる。
頼んでいたメニューが来た。
カレーは、スパイスカレーというジャンルになるのだろうけれど、おいしかった。久しぶりに、こうした複雑な味わいのカレーを食べたような気がしたし、肉が煮込まれていて、とても柔らかい。2種類の味があって、それぞれ楽しめる。
妻は、パニーニが、とてもおいしい、と気に入っているようで、笑顔だった。
あちこちに、あまり知らないような植物がある。ずっとやや控えめに、自分は知らない音楽がスピーカーから流れ続けている。
気持ちがよかった。
居心地のいい場所
しばらく食事をして、話をして、そこにあった雑誌を久しぶりに眺めたりして、時間が過ぎる。
多少の人の入れ替わりがあるけれど、ずっと同じような少しリラックスした空気は変わらない。店の奥のフードラボ、という表示があったり、コピー機があって、〇〇印刷、という言葉あるから、カフェだけではなく、他にもいろいろとできる場所なのは、なんとなくわかる。
音楽もずっと流れていて、おそらく一曲として知っている楽曲はないはずだったけれど、ずっと気持ちがいい。
居心地がいい空間だった。
食事と飲み物だけで、さらに過ごすのもなんとなく悪いので、デザートを頼もうということになり、壁に貼ってあったメニューのアイスの中にある、おとなのしろくま、を話題に出したら、妻が乗り気になってくれた。
その微妙なやる気のまま、カウンターに行ったら、そのおとなのしろくまは今はやっていない、とわかり、もう一度、選ぶことになる。アイスはミルクとピュアヨーグルトと、玉ねぎしょうゆ、だと知った。
玉ねぎしょうゆも、気になったがミルクになって、コーヒーをもう一杯お願いする。
アイスもおいしかった。妻は、甘さが遠くにある、と満足げだった。
さらに時間が流れる。
目に入るものに、微妙な刺激があり、返却もセルフなので、注文したものを運んできてくれたあとは、スタッフは、呼ばなければ来ない。
私たちが入店した時に、すでにある程度の時間を過ごしていたであろう高齢女性の3人は、それからもずっと何かを話していた。
長い時間いたとしても、それほど退店を迫られることはないのではないか。それは、放っておかれるというよりは、静かに大事にされているようにも感じる。
ここに一回来ただけで、何がわかるわけでもないかもしれないが、おしゃれなカフェにある、もう少し強めの緊張感も感じることもなく、かといって自分の日常と地続きになりすぎていないバランスがちょうどよかったのだろう。
そこにあるもの。流れている音楽。陽射し。
考えすぎのところはあるとしても、いろいろなものに、実は思った以上に気を配ることによって、絶妙な刺激とリラックスのバランスをとっているように感じた。
ずっと居心地がよかった。それは、もちろん一緒にいる人によるのだけど、それを含めても、こういう空間を3年前から存在させていることに、なんだか、ちょっと感心もした。
いつまでもいそうに思えた高齢女性の3人が食器などを片付け始め、人が減った。私たちも帰ろうとして、妻は、スタッフの男性に、カフェの中にある植物について聞いていた。
どうやら、そのスタッフも名前を知らない植物も少なくないようだけど、もちろん知っている名前は教えてくれていて、その会話が穏やかに続いているのは、少し遠くで聞いていてもわかった。
全部を把握していない感じも、勝手に、何だかよかった、と思った。
気持ちよく、カフェをあとにできた。
今度来た時は、アイスの玉ねぎしょうゆ、を試してみたいと思ったが、その時に覚えているかどうかは自信がない。
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