「運に対する姿勢」について『ブルーロック』が教えてくれた。
人間が生きている限り、才能や努力や工夫だけで「成功」という「成果」を得られるわけではなく、そのためには「運」が必要だと、年齢を重ねるほど、それこそ痛感する。
だけど、おそらくは「成功」という「成果」を得た人間ほど、その「運」のことを考えず、全ては自分の努力や才能だと思う傾向が強いと思う。
その一方で、近年、アカデミックな分野でも「運」の重要性が語られるようになってきている。
「成功」には「運」が必要不可欠であると確認できた方が、社会の格差解消について、もっと建設的な議論もできそうだし、そのことによって、もしかしたら、より生きやすい世の中にできるのでは、と思う。
その一方で、「運」というのは、どちらにしても理不尽な世の中に、少しでも、無理にでも「説明」をつけることで、絶望させすぎない「発明」にすぎないのだろう。と思うこともある。
だから、「成功」から遠い人間ほど「運」について考えてしまうが、それによって、少し現実から目を背けていることもあるのだろうけれど、同時に、極端な落ち込みを避けているのかもしれない。
そして、「成功」から遠いと感じているから、よけいに「運」について描かれたことが、気になるのだと思う。
(※ここからアニメ「ブルーロック」第1期 第23話のストーリーの内容にも触れます。もし、未見で、これから何の情報もなく見たいと思っている方は、ご注意ください)。
『ブルーロック』
『ブルーロック』というアニメは、日本サッカーの得点力不足解消の方法として、ストライカーだけを集め、敷地内で競わせる、という「カイジ」のようなストーリーだと思っていた。
それなのに、アニメの後半から見始めるという、あまり熱心ではない視聴者で申し訳ないのだけど、3対3や、4対4。というサッカーの基本的な要素によって、勝ち残るプレーヤーを決める展開になって、面白くなっていた。
魔法のようなプレーもなければ、たった一人で全員を抜き去るといった超人的な人間もいないけれど、その分、瞳を燃やすという表現でメリハリをつけた上(考えたら、それは、オールドアニメの「巨人の星」の表現で、その後、長くギャグのように言われていた方法だった)で、どのスペースに走り込むか。どのようなパスを出すか。もしくは、どのようなプレーヤーを目指すべきか。そんな一見地味な戦術的なことや、さらには、見ていた範囲だけだけど、それぞれのプレーヤーの個性や背景まで描こうとしていたように思えた。
ただ、こうしたアニメが成立するのは、サッカーというスポーツへの理解が、進んだ証のようにも感じ、(勝手に)なんだかうれしかった。
そして、第23話。第一期の大詰め。4対4のゲーム。その終盤。
ここまで勝ち上がってきた主人公は、この「ブルーロック」の中のランキングトップ3を揃えたチームを相手に、ランキング1位のプレーヤーの読みも上回るような動きによって、相手チームのシュートをブロックする。
ここまでで同点。先に点を決めた方が5点先取で勝利となる。
ブロックされたボールは高く上がり、そして、それは、ランキング1位のプレーヤーの足元に落ち、そのままシュートを決められる。
それは、最後、「運」によって、主人公のいたチームが敗れる、という展開だった。
「運」に対する姿勢
そのあと、主人公は、そのランキングNo. 1との差は「運」で、それは、どうしようもない、と嘆く。
その言葉に対して、その「ブルーロック」というシステムをつくった関係者から、“そんなことでは、いつまで経ってもランキングNo. 1には勝てない、世界には届かない”といったことをいわれる。
そして、その4対4のゲームの最後の場面の映像を見ながらの説明が始まる。
あるプレーヤーが、ドリブルで強引に突破するという、それまでとは違うプレースタイルによって、ゴール前まで独走する状況になり、ピッチ上の5人は、足が止まった。そして、その意外なプレーまでを読んでいた主人公が、その独走するプレーヤーの前に回り込み、そして、シュートをブロックする。
その2人の動きそのものには、遅れをとったものの、その2人以外で、動いていたのが、ランキングNo. 1のプレーヤーだった。
そのNo. 1の動きに対して、主人公が疑問をはさむ。
このとき、動いても、動かなくても、ボールが来るかどうかは分からなかったはず。だから、この動きは無駄だったんじゃないか。
そこに、すぐに関係者からの反応がある。
……確かに、元々の場所にいても、ボールはそこに落ちてきたかもしれない。だけど、それは、ストライカーにとっては「ハズレ」だ。なぜかといえば、そこにボールが来ても、シュートするまでに、相手がすぐに距離を詰めてきて、おそらくは得点は難しい。
それよりも、最後の場面で、自分のところにボールが落ちてくるかどうかも分からないけれど、もしも、ボールが来たときに、シュートを打てて、得点につながる場所にいるために、No. 1は、ずっと走っていた。
そこに、結果として、ボールが落ちてきたのは「運」だとしても、これを、ただの「運」の差だといっているようでは、これ以上のレベルで戦うのは無理だ。
そんな言葉が主人公に向けられるが、それを見ていた視聴者も、なんだか納得してしまった。
ポジショニング
「運」について、似たような言葉は、たくさん聞いてきた気がする。
今、不運と思える状況にいるとしても、いつ、幸運(チャンス)が訪れるか分からない。だから、腐らずに、いい状態を保っておいた方がいい。
それは、特にスポーツに限ったことではなく、仕事などあらゆることに当てはまることだと思う。そして、それは、その幸運が、一度も来ないこともあるかもしれない、というようなことは表立って言われないのは、絶望を避けたい配慮だとも考えられる。
ただ、そうしたよく聞く言葉に加えて、この「ブルーロック」の、「運に対する姿勢」のエピソードは、「運」は平等かもしれない。ただ、いつ「運」に訪れられても、「成果」を出せるだけの準備をしているのは、当然の前提として、その「運」が舞い降りてきた時に、最高の「成果」が出せるだけの場所にいるか。と言っているように聞こえ、それは、いつもベストな場所にいようとする「ポジションニング」への意志のことだと思った。
それは、サッカーの中だけではないことは分かったけれど、まだ、考えが十分に深まっていない。
それでも、もう少し一般化するとすれば、自分自身の「いい状態」を常に保つだけではなく、「運」がきた時に、十分以上の「成果」が出せるような「環境」を、いつも整えておく、ということかもしれない。
例えば、具体例は、少ししか思いつかないが、毎日、他のことが何もできないような忙しさが詰め込まれたようなスケジュールを組むのではなく、仕事でいえば、そのスキルを上げ続ける努力はしながらも、「運」がきた時に、そのことに対して、十分以上の「成果」を上げるために、常に、少しスケジュールに余裕を持たせておく、といったことかもしれない。
ストライカー
このことを、もっと正確に言葉で一般化するには、自分の能力がまだ足りないと思うものの、その「ブルーロック」のエピソードで、すぐに思い出したのは、ストライカーたちの姿だった。
例えば、世界一を争うようなゲームの時、すごいストライカーは、「どうして、そこにいたんだろう」というような場所にいる。そして、あとは足を出すだけ、という、そこだけを見たら、「運に恵まれたプレーヤー」に見えるし、もしくは「ゴールへの嗅覚が優れている」という恵まれた才能、の印象だけになりがちだった。
だけど、おそらくは、そうしたストライカーたちは、どこにボールが来るかは分からない時に、もし、ここに来たら、点が取れる、といった場所に、何回、ムダになっても、何度も走り込んでいるはずだ。
もしくは、そんなところにいてもボールが来るわけがない、と思われても、そこに居続けて、その行為を、人の何倍もしている上での、「どうしてそこにいるんだろう」をつくり上げている可能性がある。
そんなことまでも考えさせてくれたから、『ブルーロック』は優れた作品なのだと思う。
第2期も、楽しみになっている。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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