明日のことで、今日の気持ちが奪われるのを、どうにかできないのだろうか。
休みで一日、家にいる時はある。
ゆっくり起きて、洗濯はして、食事もして、基本的に必要な作業だけはして、あとはおやつの時間を妻と過ごして、録画したテレビ番組を見たりして、なんとなく気持ちもゆるんでいる気がする。
自分自身が出不精のため、そして、その傾向はコロナ禍以来、より強くなったような気もしているのだけど、どこかへ外出する予定がないと、休みの気分になる。
明日のことで気持ちが奪われる
そんな時でも、何かの気持ちのすきまというか、ぼんやりとしたときに、今のことではなくて、明日のことで気持ちがいっぱいというか、3分の1くらいが一瞬、奪われるような気になることがある。
それは、明日の仕事のことが多い。
特に、そのことに関して、複雑というか、ややこしそうな問題があって、そう簡単に解決もできない場合に、ふわっと、気持ちが少し重くなる。それで、今のことではなく、まだきていない明日、という未来に強引に行ってしまうという感じになる。
とてもあいまいな不安だけど、ネガティブな思いであることだけは確かで、それは、ここまででも解決しないことなので、ただもやもやする。それも、問題のようなことは、多くの場合、人がからんでいて、その相手が、どこか(こちらから見たら)理不尽な理由で、自分のやろうとすることを阻んでいるように思える。
これまでも、そのことに対して、さまざまな説明をしてきたつもりだけど、一方的に決定事項として、仕事の構造そのものを壊されるような指示が来た。それを出している人は、現場に来たことがない。
すると、これまでの10年くらいやってきたことは、根本から否定されているようだし、その指示の理由についても、現場のことを理解しているようには思えなかった。その人が、ここに関わるようになって、まだ2年くらいのはずで、これまでいろいろな人が協力してきた10年以上のことが踏みにじられているような気になった。
それは、黒い気持ちを生むようなことで、だから、その仕事の前日は、まだその変更が本格的になっていないのだけど、その指示に従った動きだけが活発になっていて、交渉する機会すらもない。
ただ、仕事そのものは、そういう事情と関係なく、関わってくれる人に対して、集中しないといけない。
そんな思いを、休みである日に、こんなに整理された思考でなく、これらがもっとあいまいなかたまりになって、気持ちの中に生まれて、少しの時間でも、その濃さによって、心の中を占める面積(というか体積)が変わってくる。
その不安が強ければ、気持ちの奪われ方が多くなる。
だけど、今、そのことを思っても、考えても、明日にならないと、どうしようもなく、準備できることはしているのだから、あとは、変えようとしている人に働きかけないといけないけれど、決定事項しか繰り返さない人物に、どうすればいいのかわからない。
そんな考えは、無意味だとわかっていても、そんなふうな思考が回る。
もし、もう少しでも、こうしたことに関わる人が、合理的だったり、話し合う姿勢だけでも示してくれれば、こんなふうに休みの日にまで、気持ちが占められて、苦しくなることはないのに、と思うと、怒りのようなものもわいてくる。
時には、夜、寝ていて、ふと目が覚めた時に、そんなふうな記憶が一気に押し寄せると、悔しくて、眠れなくなる時がある。
ただ、それは未来のことで、現在の気持ちが奪われているのに変わりがない。
どうしたらいいのだろう。
「ヒューマンジー」の言葉
原作漫画が存在し、それを元にしたアニメを放送していて、そのタイトルからどんな内容かわからないし、同じ時間帯に、最近は熱心に見なくなったとはいえ、毎週、録画していたから、1話を見ることはなかった。
だけど、別の番組で、その原作者が出てきて、いわゆる「番宣」のようなことをしているのを見て、視聴したいと思った。
それは、チンパンジーと、人類のミックスである「ヒューマンジー」といわれる存在が主人公のようだった。まだ、その内容を一部しか把握できていないのだけど、遺伝的な説として、そうした「ヒューマンジー」のような生物がいたとすると、チンパンジーよりも力が強く、人類よりも知能が優れている可能性がある、という話が出てきた。
その高い知性のせいなのか、「ヒューマンジー」と、人類の友人である女性との会話の中で、不安についてがテーマになったとき、「ヒューマンジー」は、こんなことを言っていた。
--まだ起こっていないについて、どうして、そんなに気がかりになるのか。今は、何も起こっていない。だから、何か出来事があってから、その時に考えればいいのに--。
それは、とても正しい冷静な見方だった。
もしかしたら、知能が高くなると、より不安が減るかもしれない、とも思えた。
だから、これ以上、頭が良くなれば、自分も、明日のことで今日の気持ちを奪われることはなくなる可能性がある。
だけど、それは自分の能力ではイメージするのが難しかった。
未来ではなく、今に集中できる能力
他の仕事でも、気がかりがある。
ただ、そうした心配事のようなことが、他の人たちと話をすると、自分には少なく、だから、これまで恵まれていたようだ、といったことを思ったりもするが、その分、微妙な理不尽には、恥ずかしながら弱いのかもしれない。
それは、本来の仕事の目的から考えたら、自分としては少し納得のいかないことで、でも、それは自分が決められることではないし、厳密にいえば、必要なことだとはわかる。それでも、抵抗感はあって、だから、その仕事の前日になると、気持ちが重くなる。
今、起こっていなくて、明日になって、その時に考えればいいのに、それを先回りして、考えてしまって、それで、不安になる。
高い知性を持つ「ヒューマンジー」からすれば、とても不合理なことだと思う。だけど、すぐにでは無理でも、今考えても、悩んでも仕方がないことと、できるだけ意識をすることで、少しずつでも、不安がふくらむことは、抑えられるかもしれない。
さらに考えれば、仕事といった、どんな規模でもレベルでも社会的なことは、自分の思惑だけではどうしようもできないことで、だから、それでもなんとかしたい、と思えることは、悪いことだけではないかもしれないが、それは、もしかしたら、自分の能力を最初から超えたことを望んでいるから、苦しくなっている可能性もある。
そんなふうに思うと、自分は欲張りな部分がまだあるのだと感じ、ちょっと恥ずかしくなったり、どこかで意欲を失っていないことへの、少しのうれしさもある。
不安がなくなったら、生きている感触は、かなり減るか、もしくは毎日の気持ちの動きは圧倒的に減って、穏やかだけど、つまらなくなるかもしれない。
そんなことも考えた。まだ未熟な思考だとも思った。
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