愛憎について〜わたしの場合
どうしても嫌だなって感じてしまう人がいる。
そういう人が自分にはいるということ。
それを、少し他人事のように思った。
結局「自分は何を嫌うのか?」という問いを突きつけられる事になり、それで激しく揺さぶられ、痛くて、そう仕掛けてくる相手を憎みたくなったり。
憎悪が湧くこともあった。
とても言葉にするのは憚れることを、何度も心で思ってもきた。
そういう醜いものを引き出す相手が、自分には在るということ。
“ソレって、どういう意味があるんだろう?”
それでも、今はそれほど振り回されなくなった。
自分自身が落ち着いてきて、もう少し客観的に自分も他も見れるようになったからかもしれない。
“悲しまされるのが嫌”と思うと、自分の気持ちと向き合う機会がスルッと逃げて行ってしまうと、あるとき気がついた。
嫌なことをされて悲しくなっては、“そう思うんだよね...”と自分の腕を撫で肩を抱く。
声をかけて慰撫する。
辛いね、苦しいね
わかってるよ
自分を守るために鎧を着たりしたくない。
内側の柔らかい部分を守ることは、決して心に鎧をかぶせることではないはずだから。

森から帰った日に、思いがけず元夫と大喧嘩になった。
そんな気は全くなかったのに。
キッカケはこの夏休みが終わって6年生になる長男の勉強のことについて。
彼も姉と共にギムナジウムに通っている。
5年生が終わり、ちょうど一年通ったことになる(ドイツ小学校は丸4年、4年生で卒業となる)。
ドイツには、全日制の学校と午後13時ごろに終わるカリキュラムの学校がある。
伝統的には午後の早い時間に終わるスタイルで13時までの学校が多い。
学校が短い代わりに宿題が多く、自宅で数時間かけないと終わらない宿題も多い。
なかなか家でコツコツできず、ダラダラと遊びたい長男に「宿題は?」「出来たの?分かる?大丈夫?」と毎日聞くのは面倒で大変。
そしてギムナジウムの宿題を見てあげられるほど、私のドイツ語能力は高くない。
だから、学校に併設する「ナーヒルフェ」という場所で宿題や苦手な教科を見てもらう必要があると思った。
その件は、数週間前に既に元夫に話し、新学年が始まる9月から通えるように申請をお願いしていた。その確認をすると、極めて乗り気じゃない表情で、
「彼は自分で宿題をする必要がある、トレーニングするべき」
と苦虫を噛み潰した顔で申すのだ。
(申請はしたらしい)
日々一緒に暮らしている者として、「〜すべき」という問題ではなく、それが難しいからの案なのだが...。
まだまだ精神的に幼い長男には、その手のサポートが必要だと思うこと、私一人の手に余ることを言い、
「あなたは一緒に住んでないから、教えてあげられる人が家庭にいないのだから」と伝えた。
夫が表情を硬くして、
「子供達はただでさえ補習校の宿題で負担があるし、土曜日も学校に行っている。これ以上平日に長く学校に居て欲しくない」
「補習校が負担なんだ。普通の状態ではないし、彼らはハッピーではない」
「僕は彼らにHAPPYでいてほしい」
....補習校へ行くのは、彼らが4歳の時からのルティーンであり、我々のコンディション(絶対条件)なのだ。ハッピーとかアンハッピーとかの話しではそもそもない。
もちろん負担が大きいのは百も承知している。
私が日々彼らと宿題をやり家庭で日本語を教えているのだから、どんな風に大変かよく解っている。
補習校は季節の行事や運動会など、様々な関わりがあり、また同じようなハーフの子供達と過ごせる貴重な時間でもある。
もちろん夏休みにも宿題があることはアンハッピーだろう(ドイツは休みは一切宿題は出ない)。
土曜の補習校通いも、イヤだと言いつつも、“そういうもの”と子どもなりに観念しており、行けばそれなりに楽しそうな様子だ。
子供の希望通り宿題もせず、土曜の補習校通いも辞めたら、あっという間に日本語は話せなくなるだろう。
語学というのは使わなければ恐ろしい勢いで消えていってしまうものだ。
学習用語の習得というのは、家庭で教える事は困難で、親とは日々同じようなことしか話さないものだ。
日常の繰り返しで使う語彙にも限りがある。
様々な語彙(熟語)を使った深い言語交流というのは一朝一夕では無理なのである。
「10年後20年後きっと彼らは日本語が話せて幸せだと思うよ。そう私は確信してる」
結局、彼にとって私がどこまで切実に日本語習得を望んでいるか...分かっていないのだな、としか思えなかった。
自分の国に住めて、放っておいても子供はドイツ語が話せるようになるのだから、わかんないんだよね...
どんどんドイツ語に駆逐されるのに抗って、日本語で話し続ける意地を、焦りを、不安をどこまで知っているというのか。
自分が異国に住んでみて、きちんと意思疎通ができて、心の情景をどのくらい他者に伝えられるか...
その重さを日々感じてきた。
「母国語で話せること、表現出来ること、伝えられること」を、私は愛している。
日本語を愛している。
それは単なる言語ではなく、日本語は私の遥かな歴史に繋がっており、過去であり、原風景と共にある音なのだ。
思いやる
懐かしい
恋しい
切ない
ときめく
憧れる
ワクワク
トボトボ
しとしと
ゆらゆら
.....
無数のオノマトペ達、
訳が見つからない言葉のカケラ...
それらを愛している。
その言葉で子どもと会話したい。
私がお婆さんになって、どんな他の言語も疲れて出て来なくなったって、きっと日本語は消えないはずだから。
「エゴかもしれないけど、私のために日本語を話し学んでほしい。我儘な母を持ったと受け入れて欲しい」
そう思ってきた。
だから例え、両親と子供達の家族5人の共通言語が無くても、私は日本語だけで子供と話し続けてきた。
そういう気持ちでもって反論したが、何度も「普通とは違う状態だ」というので思わず、激しい口調になった。
「普通って何?そもそも最初から私達は普通じゃない。」
「父親が家に居ないこの私達の状態も普通じゃない。」
「義母さんのお葬式に彼女が来るのが普通なの!?」
私の二つ目の台詞の辺りで激怒して、去ろうとしたので、押し留めるのに廊下で揉み合いになった。
かなり強い力で体に触れられて、昔の記憶が瞬間逆流してきた。
痛いし怖い
あなたから、そんな風に掴まれる謂れはない
結局、娘が登場したので直ぐに止めたのだが。
(娘の部屋の前だったので)
こういうタイミングで持ち出すほど、義母の件は自分のわだかまりになっていると思ったし、それを真正面からぶつけたのも初めてだった。
彼は聞き捨てならない台詞を吐いて去ったが、あとに残ったのは情けなさだけだった。
彼がそういう人であること。
私が少しでも核心をついて責めたら牙を剥くこと。
夫婦間のことで、どっちがどう悪かった...とは今更言うつもりはさらさらなく、詰まる所お互い様だと思っている。
そのような関係性を築いてしまったこと。
ただ私は不倫や浮気はしていない。それによって、相手の心を刺し貫いて、殺しかけるようなこともしていない。
そこだけを一度でも全面的に謝ってくれたら、
「傷つけて本当にすまなかった...」と頭を下げてくれたら、もうイイよって言えるのにナ...
それが「出来ない」のだと知っているけれど。
友人に「結局Dさんは、あなたに甘えているんだよ」って言われたことがある。
そんな態度や台詞、他の人にしないはずだよ?
どうしてあなたにだけするの?
どこかに自分の方がより愛された、という記憶が彼の中にあるのかもしれない。
カップルとして、そうだったのかもしれない。
けれど愛情ってそんなものなのだろうか?
どちらかがより多く与えられたら、それで強い立場になれるのだろうか?
そんなモノになり下がるのが、それが愛情だろうか。。
与えたものが返ってくるから、だから愛するのだろうか?
そういう条件みたいなものから、エゴの塊の人間は自由になれるのかしら?
愛は与えても減らないし、等価交換するものでもないように思う。
愛ってものは、ただそこに自分の内側にあるもの。
自分の中心にある光が、そう名付けられるものなのかもしれないなぁ...って。
憎しみも知って今は対極にある、イヤもしかしたらコインの裏表かもしれないものを、自分の中に探したいと思っている。
そう願う自分がまた在って、以前よりも少し心を自由に感じています。

自分は磨かれる珠なのだと感じた
荒いヤスリで磨かれるのは
痛いけれど
けずられるほど
輝く珠になっていくんだって
そう信じた日があった
