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蛙の子は蛙、とかえるこは歌った。

 学生時代、僕は合唱コンクールで指揮者をやらされた。おそらく歌わせるより、前で棒を振らせておいたほうが被害が少ないと判断されたのだろう。
 クラスメイトたちが声を重ねる中、僕は壇上で指揮棒を振った。右へ振り、左へ振り、勢い余って斜めへ飛び出す。音に合わせているつもりが、一拍遅れる。いや、追い越していたのか。もうそれすらわからない。

 当然、太鼓の達人もリズム天国も苦手。歌うと音程が外れ、指揮をとると拍が外れる。音楽教師からすれば、スピーカーと操作ボタンが壊れたガラケーを渡されたようなものである。

 そんな僕も「バンドマン」に憧れた。文化祭でギターを抱え、長い前髪を揺らしながら歌えば、ライブ後には「さっきの曲、かっこよかった」と女子から声をかけられる。音楽の才能さえあれば、僕にも夕暮れの校舎裏へ消えていく青春が送れただろう。

 だが、現実の僕は16和音も持ち合わせてない。着メロを作るにも「レ」と「ラ」が行方不明。どれだけ感情を込めて壮大なバラードを歌ったところで、喉から出てくるのは「ポロロロ♪」
 令和になり、スマートフォンが衛星通信まで始めようとしているのに、僕の喉はいまだにアンテナを伸ばしていた。

 モテるバンドマンへなるためには、ハイレゾ音源が必要である。だから、かえるこさんの『25歳で諦めた音楽の夢を、月18,000円のAIでもう一度拾いに行った』を読み終えたとき、僕もかつて遠ざかった音楽へもう一度手を伸ばすことにした。


 まず、布団の中でスマートフォンを開き『ボイトレ 初心者 料金』と入力した。発声を学び、音程を整え、腹から声を出せば、僕の喉に足りなかった「レ」と「ラ」が追加され「ポロロロ♪」だった着信音が、少し豪華な「ポロロロロロ♪」になる可能性はある。
 ただ、ちょっと歌が上手くなったところで、どこで披露するのだろう。ライブを開く予定はないし、妻も音痴でカラオケ嫌い。蛙の子は蛙とはよく言ったもので、娘も両親の機能を受け継いだハイブリッドである。64和音になるどころか、誰が誰につられているのかさえ分からない。

 検索窓から始まった僕の再挑戦は、ここで静かに幕を閉じたのだった。


 かえるこさんは理想の音を求めすぎたことに苦しみ、一度は音楽を諦めたと言っていた。
 僕の耳は最初から簡単モードである。理想の音に届かない以前に、理想の音がどこにあるのか分からない。音楽側から接続を切られる始末である。
 そして、かえるこさんは、かつて自分を音楽から遠ざけた耳を、今度はAIの音から「自分」を選びとるために使っているように見えた。
 僕が取り戻そうとしていたのは音楽ではなく、歌が上手ければモテていたはずだという、存在しなかった青春である。だから、読み終えた僕には、かえるこさんが最初から一度も音楽を手放していないように思えた。

 25歳で電源を切った夢が、子どもの名前や「かえるこ」というペンネーム、画面の中のアイコンへデータを移しながらもずっと残り、あとになって歌う身体になっている。     
 夢はずっと生活の中で充電されていた。そして何年もたったある日、月18,000円の決済画面に「以前のデータを復元しますか」の表示。
 かえるこさんは「はい」を押した。購入したのは、動画を生成する機能だけではない。もう一度起動するため、生活の中に沈めていた音楽を拾い上げたのだ。

 僕ならどうするだろう。もしAIが娘の歌声を補正し、音程を整え、16和音をハイレゾへ変えてくれるなら、検討する価値はある。
 ついでに手拍子も周囲と同期し、学生時代の指揮棒までアップデートしてくれたら最高だ。

 かえるこさんが25歳の続きを歌い始めた横で、僕は「ポロロロ♪」と鳴っている。

 どうやら、電波は届いたらしい。

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