犬の世話をしない家族|風邪で倒れようがお構いなしの1週間🤒
風邪で倒れていた。熱が出て、身体がだるく、ベッドから起き上がるだけで人生の最終試験を受けているような気分だった。天井を見ながら、これはもう立派な病人である。ドラマならここで家族が氷枕を持ってきて、「大丈夫?」などと心配そうにのぞき込む場面だ。ところが現実にのぞき込んできたのは、リンとココだった。家族より先に犬である。いや、犬だけである。
寝込んでいた一週間、犬たちはずっとパパの部屋にいた。リンは足元で丸くなり、ココは安定の股枕である。目が覚めるたびに同じ場所にいるので、途中からこれは看病ではなく監視なのではないかと思えてきた。
熱でぼんやりした頭は、すぐに余計な妄想を始める。リンは「この人間が倒れたら、われわれの飯はどうなる」と考えていたのかもしれない。ココはココで「とりあえずここは温かい」と判断していた可能性がある。愛情と実利は紙一重である。
それでも、ご飯の時間になると犬たちは容赦ない。「まだか〜🍚」と言わんばかりにカシャカシャと起こしにくる。パパは熱でフラフラなのに、犬の腹時計はスイス製の高級時計並みに正確である。トイレシーツを見れば、そこには見なかったことにしたい現実が広がっている。水も減っている。ご飯も待っている。病人であっても犬の世話係からは解任されないのだ。
仕方なく起きる。皿を持ち、フラフラしながらご飯を入れ、トイレシーツを替え、水を足し、またベッドに倒れ込む。この姿を客観的に見れば、もはや療養ではなく災害時の避難所運営である。しかも運営責任者が発熱中というブラック体制だ。労基署に相談したいところだが、相手は犬である。労働基準法の外側で、尻尾を振りながら業務命令を出してくる。
普段から犬の世話をしていない人は、「犬には散歩が必要」という項目が頭から抜けているのだろう。リードの置き位置を見ればわかる。まったく動いた気配がない。刑事なら即座に「犯人は散歩に行っていませんね」と言う現場である。部屋の扉を開け、犬たちが外へ出ようものなら、聞こえてくるのは「こっち入ってこないで💢」である。病人の部屋は犬の収容所ではないのだが、なぜか我が家ではそういう扱いになっていた。
結局、ポカリを買いに行くついでに、パパが散歩へ連れて行くことになった。熱のあるパパと、久しぶりの外にテンション爆上がりの犬たち。リンは「やっとや!」という顔でグイグイ引っ張り、ココは尻尾を振りながら世界の再発見をしている。まいばすけっとまでの片道五分が、遭難映画の雪山くらい遠く感じた。パパはポカリを求める病人、向こうは自由を取り戻した犬である。目的地はスーパーなのに、気分は南極探検隊だった。
仕事や学校で家にいない時間に世話ができないのは仕方ない。そこまで責めるつもりはない。だが、家にいる時くらい代わってくれてもいいではないか。パパは高熱で寝込んでいるのだ。せめて一回くらい「散歩行っとこうか?」という言葉があってもいい。ところが現実は、犬たちはパパの部屋に集まり、人間たちは扉の向こうで生活を続けている。もしかするとパパは家族の中で「犬担当大臣」に任命されていたのかもしれない。辞令をもらった記憶はないが、現場では完全にそうなっている。
結局、風邪で寝込んでいた時、看病してくれたのは犬たちだけだった。熱でうなされても、足元ではリンが寝息を立て、股の間ではココが当然のように丸くなっていた。散歩にも行けず、部屋に閉じ込められ、それでも文句ひとつ言わずに寄り添ってくれた。いや、文句は言っていたのかもしれない。ただ犬語だったので、パパが理解できなかっただけである。
体調が少し回復した日曜日、犬たちを四回ほど散歩へ連れて行った。罪滅ぼしなのか、リハビリなのか、自分でもよくわからない。けれど、リンとココが嬉しそうに歩く姿を見ていると、まあええかと思ってしまう。世話をしない家族への不満はある。
だが、犬たちはそんな人間社会の揉め事など知らず、ただ今日も「ご飯まだ?」「散歩まだ?」という顔でパパを見る。どうやらパパは風邪をひいても、大臣を辞められないらしい。しかもこの犬担当大臣、支持率はやたら高いのである。
🐶 ココのアンサー:むしろご褒美💤
🐩 リンのアンサー:散歩はいつ?💢
↩️ 前話はこちら:飼い主のモラル🐶
