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寒い冬はシチュー🥄|バターを買いに行っただけなのに……🥖

冬になると、シチューが食べたくなる。身体の芯から温まるかと言われると、そこまでの実感はない。熱々の味噌汁のほうが即効性はある。それでもスーパーの棚で白いルーを見ると、冬の入国審査を通過したような気分になる。

カレーが夏の遠征部隊なら、シチューは冬の駐屯地である。鍋の中で玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが静かに肩を寄せ合い、牛乳がすべてを白く包み込む。やっていることはカレーとほぼ同じなのに、なぜか急に家庭的な顔をするから不思議である。


その日、冷蔵庫には中途半端に余った牛乳と、いつからそこにいたのか分からないルーのかけらがあった。古代遺跡から発掘された石板みたいな顔をしていたが、そこへ新しいルーを足し、六人前のクリームシチューを作った。

六人前である。この数字には夢がある。今日の夕飯だけではない。明日の自分を救うための、白い貯金である。私は鍋を眺めながら、明日の夕方、何も作らずに済む未来を想像していた。台所に立たない夕方。それはもはや小さな有給休暇である。

パンも抜かりなく用意した。うちはシチューオンライスではなくパン派なので、フランスパンを三本買ってきた。三本あれば十分だろう。そう思っていた私が甘かった。妻と娘が帰宅し、さあ夕飯にしようというところでバターが残りわずかなことに気づいた。ちょうどイオンのお客さま感謝デーである。私は「先に食べてていいよ」と言い残し、寒空の下、自転車でバターを買いに走った。たかがバター、されどバター。戦場で弾薬を取りに戻る補給兵の気分である。


ところが補給任務には割引シールという名の罠がある。バターだけ買えばいいのに、気づけばチキンやら何やらをカゴに入れていた。人は五パーセント引きには冷静でいられても、半額には人格を明け渡す。そんな折、妻から電話がきた。「パン食べきった」。フランスパン三本が消えたらしい。冬の駐屯地に、食欲という名の巨大生物が現れた瞬間である。

バケットを追加で買い、帰宅した私は、鍋のふたを開けた。そして見た。底である。白い大地はほとんど開拓され尽くしていた。明日の分まで作ったはずのシチューは、明日の私を救うどころか、今日の家族にほぼ救出されていた。料理をしない人には、この絶望が伝わりにくい。シチューが減ったのではない。明日の自由時間が食べられたのである。

ちょっとしか残されなかったシチュー


結局、私は少し残ったシチューと、追加のバケットと、割引チキンで夕飯を済ませた。まあ、これはこれで悪くない。冬の食卓としては十分に成立している。

ただし、鍋の底を見るたびに思う。冬になるとシチューが食べたくなるのは、身体を温めるためではない。明日の自分に希望を煮込むためである。そして我が家では、その希望から順番に食べ尽くされる。

それなりの量クリームシチュー作ったはず

⬅️ 前話はこちら:ゼッテリア🍔
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️

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