ホワイトデーは3倍返し|娘へのお返しは愛情か現金か
ホワイトデーは三倍返しらしい。誰が決めたのか知らないが、なかなか恐ろしい制度である。バレンタインを貨幣経済に持ち込むと、パパは愛情の商人ではなく、為替におびえる町人になる。
しかも今年、娘から渡されたのはチョコクッキーだった。いや、クッキーだったと思う。丸くはない。端は欠け、割れ、皿の上で「我々は選抜漏れです」と静かに自己紹介していた。

深夜、キッチンからガタン、カタンと音がしていた。「あっ……」という小さな声も聞こえた。あの一言で、パパはだいたいの物語を理解した。第一陣は戦場で散ったのだ。そして翌日、パパのもとへ運ばれてきたのは、焼き菓子界の負傷兵である。
娘はそれを「はい。パパのバレンタインデー」と、宅配便の置き配くらいの温度で差し出した。「これは余りか?」などとは聞かない。女子高生の沈黙には、下手な契約書より重い効力がある。
ひと口食べると、ちゃんとおいしかった。形だけが自由を求めて家出していただけで、中身は立派なチョコクッキーである。問題はここからだ。三倍返しなら、私は何を基準に三倍すればいいのか。
完成品の三倍か。失敗作の三倍か。割れた面積から減価償却すべきか。パパは、ホワイトデー査定委員会が緊急招集されていた。
去年はスタバのギフトカードを渡した。娘は「ふーん」と言い、後日、机にレシートだけが残っていた。使用報告なし。感謝の言葉なし。ただ、使った形跡だけがある。まるで山奥で発見された古代文明の土器片である。
それでも今年も悩む。高すぎると重い。安すぎると雑。ちょうどいいを探すパパは、イオンの菓子売り場で恋愛偏差値ゼロのまま受験会場に立たされる。
娘は、値段なんて見ていない。包装も帰ればすぐ捨てる。それでも深夜の「あっ……」を思い出すと、ちゃんと選びたくなる。
崩れたクッキーにも、パパへ回ってくるだけの場所が残っていたのだ。ならば三倍返しとは、金額ではなく、三倍悩むことなのかもしれない。
クッキーは割れていたが、今年もパパの財布と自尊心だけは、きれいに三等分されそうである。

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