松屋で牛めし並を頼むと、なぜ少しだけ負けた気がするのか
「選択肢多すぎやろ!」
松屋の券売機の前に立つと、ちょっと急かされる気分になる。
後ろには誰も並んでいないはずなのに。
なぜか、早く決めないといけない気がする。
カルビ焼肉定食。
ごろチキ。
期間限定のガッツリ系。
そして「牛めし」。

何を迷っているのか、自分でもわからない。
今日は別に、疲れているだけ。
がっつり食べたいわけでもない。
無難に牛めしでいい。
「並」で十分。
そう思ってボタンを押す。
すると──
少しづづ、敗北感が襲ってくる。
吉野家ではそんなことは感じない。
すき家でも感じない。
松屋だけ。
たぶん、これは味の問題ではない。
松屋は、牛丼屋というより定食屋の顔が強い。
焼肉。
生姜焼き。
期間限定。
攻めたカレー。
券売機が、ちょっとだけ煽ってくる。
「定食がおすすめやで!」と。
そんな空気の中で、牛めし並を選ぶ。
何も間違っていない。
何も損はしていない。
それなのに──
一番守りの選択をした感じだけが残る。
テーブルの脇にある調味料たちが、
「まだ攻められたやろ?」と静かに言ってくる。

吉野家で牛丼並は、王道。
原点。
完成形。
迷いのない選択。
守りではなく、正解。
負けた感じはしない。
すき家はカスタム文化。
チーズ。
キムチ。
ねぎ玉。
高菜明太。
選択肢は多い。
ただ、自分の好みはシンプルな牛丼。
好みを守っただけ。
敗北感は起きない。

松屋で感じる敗北感は、選ばなかった未来のせい。
カルビ定食を頼んでたら、
今日はちょっと特別な日になったかもしれない。
期間限定にしていたら、
なんか自分を甘やかした気分になれたかもしれない。
実際には何も起きてないのに、
選ばなかった選択肢にだけ、勝手に物語をつけてしまう。
それが券売機の前で発生する可能性の亡霊。
人は損していなくても、損した気分になる。
選ばなかった未来に、
勝手に価値をつけてしまう。
松屋で牛めし並を頼んだ瞬間、
本当に失っているのはお金でも味でもない。
「今日は攻める日だったかもしれない」
という、ほんの小さな妄想。

よく考えたら
松屋の牛めしも、ちゃんとうまい。
早い。
安い。
みそ汁付き。
牛めし並を選んだのは、
その日の自分が、それで十分だと思ったから。
攻めなかった日は、無理をしなかった日。
次に松屋に入ったとき、
また券売機の前で3秒止まるだろう。
きっと
牛めし並を押す。
そしてまた──
あの小さな敗北感が胸に残る。
だから松屋は、朝定食で通うことにした。
「Wで選べる卵かけごはん」

◀️ 前話はこちら:鶏竜田バーガー🐓
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️
