見出し画像

しゃぶ葉でひとりランチ|まだ元は取れると思っていた

身体は人間ドックの日みたいだった。しゃぶ葉へ向かっているだけなのに。

この歳で元を取ろうなんて考えてしまうのもどうかしてるか、それでもせっかくの食べ放題であれば、お腹をギリギリまで減らしておいた方がええんとちゃうか、しゃぶしゃぶなら豚肉やろ……とペダルを漕ぐたび、しゃぶ葉への気持ちは盛り上がっていた。


午前中指定の荷物が届いたのは11時57分だった。

9時ごろから気持ちは完全に浮ついていた。エンジン音が聞こえるたびにベランダに出るが、通り過ぎる車ばかりだった。犬たちがパパの帰りを待ってるときも、こんな感じなんだろう。

玄関先で小銭を渡し、鍵を回してドアを閉めるころ、配達員はまだ階段の途中にいた。二段飛ばしで下りると、踊り場でその背中を追い抜いた。自転車へまたがるころには、頭の中はもう鍋の中に浸かってた。


12時22分。受付のタッチパネルは0人の表示だった。

案内されたのは6人掛けのソファー席。隣では皿の置き場もないくらいのテーブル席でおばさまたちが食事をしてたので、ちょっと代わってあげたいなという気もしたが、こちらも荷物を置いたばかりだったのでそのまま深く座った。

昨晩のうちにホームページを見て、豚バラと豚ロースの2種ランチに決めていた。食べ放題は席についてから考えるより、家を出る前から何を食べるか選んでる時間のほうが長い。ところがその計画は入り口でくずれた。豚バラが輸入停止で休止中と貼ってあったからだ。

あらためてメニューを見直すと、牛と豚の2種か、豚ロースのみか、このあたりが悩みどころになるのだろうけど、牛を頼むと灰汁でえらいことになる。家でも灰汁は見て見ぬふりして妻にまかせてるのに、ひとりでやるわけがない。

豚ロースのランチにした。

だしは基本の白だしと、もう片方は『赤チゲ味噌だし』を選んだ。家族と一緒だと辛いのは初めから選択外になる。やっとひとりで来た甲斐があったなと、まだ肉も来てないのに満足していた自分がおかしくてたまらず、笑いたくなってきたところでタッチパネルに写った顔が目に入った。「落ち着け。まだお肉も来とらん」画面に向かってちっちゃな声でツッコんだ。

肉を待つあいだ、まずはビュッフェ台を一通り見ることにした。自転車を飛ばしたせいか、冷たいものしか頭になく、最初に手が伸びたのはアイス。

頭の中まで冷やしたところで、野菜を食べるべきかどうかを考える。普段の生活では野菜を摂ることもないし、家族で来るときは、妻や娘が勝手に取ってくる。なによりも、せっかくの食べ放題なんだし「豚が野菜食っとるからいらんやろ」なんて浮つきながら肉だけを食べるつもりでいた。

そんな時に限って、周りの視線が気になってきた。「あの人、お肉だけ食べてる」と思われるのも癪だ。野菜がないとあまりにも茶色い。きのこ、たけのこ、きくらげ、にら......旨味を重視したラインナップを選んだ自分がどこか誇らしかった。普段から料理してて良かったと、こんなところで実感するなんて。


届いたお肉の最初の1枚だけは、ちゃんと『しゃぶしゃぶ』した。白だしにくぐらせて、色が変わるのを見て引き上げる。湯気と一緒に豚の甘い匂いが上がってきて、1枚目だけはまだ余裕があった。

そこまでは丁寧だったのに、2枚目でもう面倒になり、残りをまとめて鍋へぶち込んだ。「こっちは腹減っとんねん!」待ちきれるわけがない。ただの煮込み鍋となったが、味の違いまではよくわからなかった。


タレは胡麻だれに刻み玉ねぎの香味だれ、紅しょうがだれを選んだ。途中で薬味を足したり、POPに書いてあるおすすめアレンジを試してみたりしたけど、最後は何が正解かわからなくなった。やっぱり基本の胡麻だれだけで十分だ。甘さと濃さで、結局そこへ戻ってくる。


斜め向かいの席では、同じ歳くらいの男性がいた。スマホを見たまま箸だけが動いていて、鍋の中では肉がずっと同じ場所に沈んでいる。「そんな煮込んだらお肉固くなるで」と余計なおせっかいが喉まで出かけたが、肉と一緒に飲み込んだ。

こっちはそんな余裕がなかった。肉が減れば追加をし、湯気を見ながら引き上げる。アイスでお口を冷やしてるうちに次の皿が届く。ひとりの食べ放題は、想像してた以上に忙しい。小刻みに3皿ずつ頼んだのがいけなかったのか、ネコ型配膳ロボは何度も同じ角度から現れ、最後にはすっかり顔なじみだった。


注文するまでは「元を取る」ことばかり考えてた。ひとりだからこそ好き放題食べられるなと。

家族で来てたら、無駄にパパの威厳を見せないといけない。競うように娘と勝負する。最後は娘が食べ残したお肉まで処理をしないといけない。

タッチパネルを開くと注文履歴は45皿だった。鍋にはまだ白だしもチゲも残っている。「チゲやなく鶏がらだしにしておけば良かったわ」と軽く後悔した。〆にラーメンを食べたかったけど、チゲで食べるには辛すぎる。追加の肉は2皿にし、わかめごはんと一緒に食べることにした。

ひとりで食べてる時の方が、お腹と相談できる。まだ八分ほど。「これくらいでいっか」という気持ちが強くなってきた。

タッチパネルを見てたら、パフェの作り方が紹介されてた。「パフェちゃう。これはサンデーやろ」とツッコミながらも、頭の中ではドライフルーツを入れる量を計算していた。

ビュッフェコーナーを見渡すと、アイスの小皿は置いてあるがパフェのお皿が見当たらない。クレープコーナーが目の端にあったが、そのときはまだパフェのことしか頭になかった。小皿を一枚持ってから、もう一度棚を見たが、パフェ用らしき皿はやっぱり見つからない。もしかしたらあれは別で注文しないといけないものなのかと思い、アイスで我慢することにした。これが本日5度目のアイスだったけど、口直しにはちょうど良かった。


犬のお散歩は胃捻転のリスクがあるから、食後すぐに連れていけない。それもあってか、休憩してから家に帰ろうかとも考えたけど、それよりも早く食後の一服をしたい気分だった。店の前を見ても、柱の横にも入口脇にも見当たらない。

「はよ帰ろ……」

自転車を走らせ10分ほど、坂道を駆け上がったあたりで急激に気持ち悪くなってきた。「……もしかして、これが胃捻転?腹八分どころちゃうやんけ」さっきまで湯気の前で肉をめくっていたのに、遠い過去のような気分になっていた。やっぱり休んでから帰るべきやったなと、ちょっと本気でトイレ求めながら家に戻った。

鍵を開けるころには、気持ち悪さも引いていた。今日のしゃぶ葉を振り返ってたら、ものすごく大事なことを思い出した。

「クレープ食べるの忘れてた」

今日はもう夜ご飯はキャンセルだ。だって明日が人間ドックだし。

🔗 関連記事はこちら 👇

いいなと思ったら応援しよう!