【人と機械の曖昧な境界】
伊東篤宏個展 「MISC / Sound Objects 2000 – 2025」と「MUTEK 2025」
AI化がどんどん進む中、アナログなサウンドオブジェ達がとても新鮮で安心感と懐かしさを感じます。
有機的に絡み合う音が心地よく聞こえるのはアナログだから生まれる偶然に心を委ねる余白があるからかもしれません。
AI時代の今、過剰に合理的で最適化された世界に触れてると、アナログが醸す“揺らぎ”や“誤差”が、妙に温かくてホッとするのでしょう。
以前、サウンドデザイナーの齋藤久師さんとお話ししたときに「モジュラーシンセはアナログかデジタルか?」という質問をしました。モジュラーシンセとはシンセサイザーの原型でシンセの機能を各モジュールに分割して、それを自由につないで音を出す楽器です。

齋藤さんは「そういう議論自体すでに意味をもたない」と言っていました。モジュラーシンセといえば、フィジカルに操作するアナログのイメージが強いですが、中にはチップが入っていたりします。つまり、過去にアナログ楽器であったが、高度にデジタルにシュミレーションされています。一方で演奏は直感的でフィジカルです。このエピソードはデジタルなのかアナログなのかという議論はすでに無意味になっているということです。
アナログかデジタルかよりも“どんな体験が生まれるか”が重要になってる時代だということではないでしょうか。
AIが作り出す映像は既に現実か合成された情報か見分けがつかないところまで来ています。
それは映画「HER」でAIに恋したり、攻殻機動隊で草薙素子が意識を持ったAIと融合したり、最終的に「ブレードランナー2049」ではレプリカント(人工生命)がレプリカントを出産するところまで描かれています。生物と非生物、人間とAIの境界はどんどん曖昧になっていきます。
人がAIに恋する。
人とAIが融合する。
レプリカント(人工生命)が生命を生む。
この全てが「ありえない未来」ではなく、すでに生活の中で薄く重なり始めています。
90年代にあたりまえに交わされていた「インターネットやらないと遅れるよ」という話は、常時接続の今となっては死後になっています。
同様に数年後には「今、AI使わないと、、」は死後になっていくでしょう。
人と機械の境界が見えれば見えるほど、人とは何か?という「問い」が生まれます。
伊東さんの個展の後、カナダ・モントリオール発祥の電子音楽とデジタルアートの国際的なフェスティバルMUTEK.jpに来ました。
伊東さんは過去にMUTEKの出演オファーがあったそうですが出演していません。デジタルが苦手だそうです。また、現代アートの方々とは馬が合わないそうです。デジタル化と現代アートの文脈に乗らないアウトサイダーの立ち位置を作品だけでなくスタンスとしても表現しているのだと感じました。
伊東さんの個展の後、MUTEKに来ると、対照的でとても刺激的でした。
MUTEKに出演した真鍋大度さんは高校生の頃からDJに夢中になりバンドもやっていて、顔に付けた電極を通じて表情を動かす実験をYouTubeにアップしたことがきっかけで有名になりました。出発はアナログな電気実験からです。
ステージではアナログからデジタルに振り切って3Dのオブジェクトが音と同期したライブパフォーマンスでした。
おそらく、それぞれ異なるアプローチをしていますが、真鍋さんも伊東さんも同じ未来をみていると思います。
そして、最後のDJ SAMOで共演したのが何度か自分ともコラボレーションしている20代期待の若手VJ MISOLAのJVがデジタル×フィジカルで興味深かったです。
音に合わせて手の動きをキャプチャーしてVJをしていたのですが、この手の動きは、密教の印を結んでいるようにも見えます。
自分自身、デジタルとアナログを行き来する中で、音楽やアートやアニメーションが予言する未来の中にいる事を実感した夜でした。
アナログとデジタル、現実と仮想現実、生命と非生命の境界はこれからますます曖昧になっていくでしょう。
来年は伊東さんとのコラボも計画したいと思います。
伊東さんの個展はbookshop / gallery タタ @高円寺で11/30まで。
