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「5分で紹介」岡山|「備中高松城」水攻め

いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!

こたびの戦で攻めるのは『備中高松城』です!
今では天守や建築物はありませんが、歴史好きにはたまらない「秀吉による水攻め」の舞台となった平城です。

■備中高松城の攻めどころ■
①1582年(天正10年)に、信長の命を受けて「中国侵攻」を行なった「羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、周囲の城を攻め落としつつ進軍しましたが、沼に囲まれた「備中高松城」だけをどうしても攻めあぐねていました(難攻不落)
そこで秀吉は、この城域の豊富な水を利用し水攻めを画策します。
城の周囲を堤で囲い、足守川の水を大量に引き込むことで、あたかも海に浮かぶ孤城の様に補給線を断ちました。籠城に耐えられなかった「清水宗治」公は家臣5000人の命と引き換えに自害します(秀吉はその見事な武将ぶりを感心し『武士の鏡』と褒めたたえたとか)
②水攻めの際に造られた堤防が、高松城の東南でわずかに残っています
 「蛙ケ鼻築堤跡」
③城跡の現在は蓮がおい茂る、静かな公園となっていて、当時を偲ばせる遺構は「清水宗治」公の「首塚」などが、僅かに残るだけとなっています。
④続「日本百名城」(№171)に選出されています。

JR西日本の「岡山駅」から「吉備線」(通称:桃太郎線)で5駅20分。
「備中高松駅」から徒歩で散策します。
城跡は現在では「高松城址公園」となっており、駐車場もあります。
歴史解説の看板あり。
かつての郭内。いまは建物などもなく物静かな原っぱです。
もともと沼地が多かった地域。城址公園内も蓮のおい茂る湿地帯となっています。
「備中高松城址資料館」
水攻めの資料や解説、模型があって歴史を学べます。料金はなんと無料!
(10:00~15:00の開館で、到着した時には既に閉まってました 泣)
なんと「水攻音頭」という少し物騒な歌まであるのか!
幼子が意味も分からず口ずさんで、踊っているかもしれないと思うと複雑。
城址公園から駅までの間にある「最上稲荷」の「大鳥居」です。
「城址公園」から徒歩で1㎞ほどあるくと「高松城水攻築堤跡」(蛙が鼻築堤跡)を見ることができます。高さ8m、総延長約3㎞の堤防を12日間で築いたとか!
秀吉はやっぱスケールが違うよね。一夜城とかさ。
「高松城水攻め史跡公園」今は原っぱしかない。
歴史解説の看板
水没区域を見ると、めちゃくちゃ大規模な作戦だったことが窺える。
黒田官兵衛をはじめ蜂須賀、宇喜多、生駒、佐久間、なかなかの武将が関わったんだね。
当時の地表面も見ることができます。
水没させた高さ。相当な水量でした。
当時に思いを馳せ、歴史の大舞台を散策してみるのもいいもんですよ♪

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水を使う者

城は、攻めるものだと思っていた。
だが備中高松城を前にしたとき、羽柴秀吉は「落とす」よりも「包む」ことを選んだ。

沼地に浮かぶ城。
正面から挑めば、時間も血も無駄に流れる。
秀吉は地形図を指でなぞり、静かに言った。
「水を呼べ」

家臣たちは息を呑んだ。
川をせき止め、城を沈める。
前代未聞の策だったが、秀吉は迷わない。
時間こそが、最大の敵だと知っていた。

堤は昼夜を問わず築かれた。
百姓も、足軽も、皆が土を運ぶ。
秀吉は現場に立ち、声を張った。
「一鍬が命を救う」

雨が降った。
天が、この策に応じるかのように。
水は増し、城は静かに孤立していく。

秀吉は舟を浮かべ、城を眺めた。
矢は届かず、怒号も聞こえない。
ただ水だけが、確実に城の足元を奪っていた。

やがて和睦の話が届く。
城主・清水宗治、切腹をもって兵を助けたいという。
秀吉は目を閉じた。

「見事な武将だ」

勝ちは欲しい。
だが無駄な死は嫌だった。
宗治一人の命で城が落ちるなら、それが最も軽い犠牲だと、自分に言い聞かせた。

白装束の舟が、水面を進む。
秀吉は遠くから、その姿を見送った。
刀が振り下ろされる瞬間、彼は顔を背けた。

水攻めは成功した。
誰もが、秀吉の智を語るだろう。
だが彼の胸には、重たいものが沈んだままだった。

その夜、信長横死の報が届く。
秀吉は天を仰いだ。
水を操った男は、次に「時」を操らねばならなくなった。

備中の水は引いていく。
だが、あの舟の白さだけは、秀吉の記憶から消えなかった。
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5分で紹介「備中高松城」おしまいです。
築堤跡に刻まれた時間。また1つ歴史の風を感じた日だったよ。

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