「5分で紹介」愛媛|「今治城」攻め
いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!
こたびの戦で攻めるのは、伊予の国「今治城」です。
瀬戸内海の海水を引き込んだ壮大な「水城」「海城」です。
■今治城の攻めどころ■
①「関ヶ原合戦」で功績を挙げた「藤堂高虎」が伊予の国(の半分ね)を与えられ、1602年から築城を開始して、約7年の歳月を掛けて完成しました。
②「日本三大水城」です。広大な堀があり、堀の中に国内最大級の船着き場が作られるなど、海上輸送の要衝として機能した城でした。
③「日本百名城」(№75)に選定されています。
④築城の名手だった「藤堂高虎」公が、戦経験に基づいたて築き上げた城は「高虎、城郭造りの集大成」とも評されます。
⑤堀の幅は50~70mと対岸から矢が届かない強固な城でしたが、実は1度も戦火に見舞われたことはありませんでした。
⑥天守に関しては諸説あって、(1)最初からなかった、(2)実際に建てられたけど高虎が伊予を去る際に解体して持ち去った、(3)明治新政府によって(廃条令によって)取り壊されてしまった、などハッキリしないらしいです。
⑦1980年代(昭和55年)に天守やその他の建造物が再建され現在に伝わっています。
⑧当時は三重の堀がありました。「今治港」の引入れ港はかつて城の船着き場(入船)でした。現在、城をぐるっと囲っている大きな堀は、三重堀の一番内側だったものです。

この堀も三重の堀の1つに過ぎないとか・・・




威圧感あります。石垣の石の大きいことよ。








明治時代に城がなくなり、がらんどうになった城郭内に建立されたとか。




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潮を読む城
瀬戸内の海は、穏やかに見えて速い。
潮は満ち引きし、流れは刻々と向きを変える。
その海を読めぬ者に、この水域を治めることはできなかった。
慶長七年(1602)。
藤堂高虎は伊予半国二十万石を与えられ、今治に城を築く。
築城の名手と呼ばれた男が選んだのは、山ではなく海だった。
今治城は、海水を堀に引き入れる。
潮の干満によって水位が変わり、
敵も味方も、刻を誤れば動けなくなる。
それは石や壁ではなく、自然そのものを防御に使う城だった。
天守は三重。
高虎の城にしては、意外なほど端正で控えめだ。
だが城の要は、天守ではない。
海に開いた門、船入、そして堀である。
高虎は、城から海を見た。
関ヶ原の後も、徳川と豊臣の間で揺れる情勢。
伊予灘は、常に外とつながっていた。
「城は、陸だけを見ていては足りぬ」
今治城は、港と一体の城下町を持つ。
軍港であり、商港でもある。
戦と経済、その両方を視野に入れた城だった。
やがて高虎は転封され、
今治城は治める城として受け継がれていく。
戦のために築かれたが、
戦わずに役目を果たした城である。
潮が引き、堀の水位が下がると、
石垣の根元があらわになる。
そこに刻まれた傷は、
この城が「実戦」を想定していた証だ。
今治城は語る。
城は、山に築くものではない。
城は、土地の理を読む者が築くものだと。
瀬戸の潮を従えたこの城は、
まさに海に築かれた、知の城なのである。
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「5分で紹介」伊予の国「今治城」おしまいです。
時間に余裕があれば、少し歩いた先(港)にある「今治城入船跡」まで歩いてお城の広さを実感してみても良いかもしれません。(地図の矢印)
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。
