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「5分で紹介」徳島|「徳島城」攻め

いざ!城攻めじゃあ!
全国各地にある城を攻めまくり、「天下統一」を目指すことにしたよ。
これは、そんな夢見がちな「足軽サラリーマン」の ”城攻め” の記録を5分で紹介する記事です!

こたびの戦で攻めるのは、阿波の国「徳島城」です。
天守を持たないこの城は、派手さこそありませんが、阿波の青石が使われた堅固な石垣は、今も徳島のシンボルとしてあり続けています♪

▪️徳島城の攻めどころ▪️
①徳島市の中心部、JR四国「徳島駅」の裏手にある「徳島中央公園」、その中にある丘の上(標高62m)に石垣などが城跡として残っています。
②徳島駅のすぐ裏手にありながら駅から直接行くことができません。(こうゆう所が観光客誘致が下手だなぁと思うけど)
駅から少し歩いた先の、歩道橋で公園に入ります。
③「日本百名城」(No.76)に選定されています。
④「豊臣秀吉」が四国平定を機に家臣の蜂須賀氏に治領を任せて築かせたのが「徳島城」です。
⑤明治政府の廃城令で取り壊されて以来、現在は歴史的遺構は縄張りと石垣、麓の庭園が残るだけで天守や櫓はありません。
⑥歴史的な史料は隣接する「徳島城博物館」で見ることができます。

徳島と言えば「阿波踊り」
ここ徳島駅前にも阿波踊りのモニュメントが設置されています♪
阿波踊りは「徳島城」落成の祝いから始まった踊りと言われています。(諸説あり)
駅から直接行けないので、少し歩いた先の歩道橋からアクセスします。少し不便。
石垣が見えてきました。
大手門跡です。
御殿広場です。
かつての城主の住まいがありました。今は桜広場と博物館となっています。
徳島城博物館
あの奥の城山が本丸などの城郭となっています。
蜂須賀氏の家紋「蜂須賀卍」です
蜂須賀家政公の像
中央公園内には旧徳島駅とSLのモニュメントもあります。
だいぶ痛んでしまっています。
城山に登る階段です。ここから「西三の丸」、「西二の丸」へ上がります。
階段を上がると見えるのが「西三の丸跡」です。現在は柵がされて立ち入ることができません。
眼下に徳島の街並みが少しだけ見えます。
さらに上の二の丸に向かいます。
石垣は「弓櫓」の石垣です。
西二の丸跡
かなり高い石垣
本丸跡です。
めちゃくちゃ広い
樹々の間からしらさぎ大橋が見えますね。
こちらは徳島駅側。樹々に覆われていて展望はあまり良くありません。
東側から降りていきます。
こちらも本丸東石垣が立派です。
東二の丸跡です。
太平洋戦争時の空襲に備えた防空壕跡。
今は入口がモルタルで塞がれています。
東二の丸から降りると目の前には「弁天池(蓮池)」が広がります。

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渦を治める

阿波の国は、水に囲まれている。
吉野川が平野を貫き、河口には潮の干満が及ぶ。
徳島城は、その水の結節点に築かれた。

戦国の末、阿波を治めたのは三好氏であった。
だが天下の潮目が変わると、阿波もまた主を失う。

天正十三年(1585) 四国征伐。
羽柴秀吉の軍勢が押し寄せ、阿波は平定される。
その後、この地を与えられたのが、蜂須賀家政である。

家政は、山を選ばなかった。
選んだのは、河口近くの低地。
城山と呼ばれる小丘を中心に、川と堀を巡らせる。

徳島城に天守はない。
代わりに、櫓と石垣、そして広い城下がある。
この城は、戦うための象徴ではなく、
治め続けるための城だった。

阿波は、海とも陸ともつながる国である。
藍をはじめとする産物は、川を下り、海を渡った。
徳島城は、経済の流れを押さえる城だった。

蜂須賀家は、関ヶ原では東軍につき、
阿波一国を安堵される。
以後、幕末まで一度も改易されることなく、この城から国を治め続けた。

幕末。
時代が再び動くとき、徳島は戦場にならなかった。
城は、燃えることも、攻められることもなかった。

徳島城は、渦のような時代の流れの中で、静かに中心を保ち続けた城である。

石垣には、阿波青石が使われている。
青く、硬く、崩れにくい。
それは、この城の性格そのものだ。

徳島城は語る。
城は、目立たずともよい。
国が乱れぬことこそ、城の務めだと。

吉野川の流れは今も変わらない。
その水音の中に、治め続けた城の時間が、静かに残っている。
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5分で紹介「徳島城」おしまいです。
石垣に刻まれた時間に、また1つ歴史の風を感じた日だったよ。

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