もし、インフラ停止したら、生きる力ありますか?
電気が消えた夜を、想像してみたら
三日目の夜、ろうそくの炎がゆれた。
それは単なる光ではなかった。熱だった。存在の証拠だった。スイッチを押せば部屋が明るくなると信じてきた自分が、どれほど何かに預けて生きていたか、、
炎はそれを、静かに教えた。
水は三日で尽きる。
だれかに動かしてもらっていた水が。
布と砂と炭を重ねて、川の水をゆっくりと通す。煮沸する。そのひと手間が、生と死のあいだにある。人類が何千年もかけて磨いてきた知恵は、非常時に輝くのではなく、ずっとそこにあったのに、電気という便利さの裏側に隠れていただけだと気づく。
火は、起こすより育てるほうが難しい。
炎ではなく、熾火を目指す。赤く静かに燃える炭火。それが最も安定した熱だ。激しく燃えるものは早く消える。穏やかに、持続することの価値を、熾火は体で教えてくれる。
冷蔵庫が止まった瞬間から、食材は時計を刻み始める。だから干す。塩を振る。燻す。電気のない時代、保存とはそういう営みだった。道具は自然の中にある。知恵さえあれば。
「はじめチョロチョロ、中パッパ」。
炊飯器のない台所で、鍋と火だけで米を炊く。蒸らしの静寂のなか、蓋を取りたい衝動をこらえるそれはまるで、何かを信じて待つことに似ている。
日が昇ったら起き、日が沈んだら眠る。
それを退化と呼ぶ人もいるだろう。しかし三ヶ月を太陽とともに生きた人たちは、口をそろえてこう言う。あの生活は、清潔だった、と。余分な刺激がなく、身体が正直になる。夜のろうそくは貴重だから、日中に働く。人間が本来持っていたリズムに、ただ戻るだけのことだ。
水洗トイレが止まれば、灰とおがくずが代わりになる。道具が壊れれば、ロープと廃材で直す。天気予報がなければ、雲と風の匂いで読む。
代替手段を知っているか、どうか。それだけが問われる。
そして最後の夜。スマホも、テレビも、音楽もない。
最初の一週間、人は退屈という名の苦しみと向き合う。だがそれを超えたとき、頭の中が、ふいに静かになる。本を読む。日記を書く。あるいは何もせず、炎を見つめる。
パニックになった人間は、判断を誤る。焦った人間は、エネルギーを無駄にする。
静かでいられるか、、
それがサバイバルの、最後の砦だ。
電気が消えた日、あなたに残るのは知識でも道具でもなく、おそらく、静かな自分自身だ。
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