熾火(おきび) 田辺清とエディが紡いだボクシングの絆 ~無敗で引退した悲運のボクサーと名トレーナーの物語~ 田辺清。ローマ五輪銅でボクシング界初の日本人メダリストとなり、 プロ転向後は22戦21勝1分。世界王者アカバロとのタイトル戦を前に、 網膜剥離で引退を余儀なくされた伝説のボクサーだ。 彼と、短期間ながらトレーナーを務めたエディ・タウンゼントの出会いは、 その後も様々な形で縁(えにし)となってつながり、 今なお日本ボクシング界に脈づいている―――昭和の男たちに贈る! 「田辺さんだから語れた。別府さんだから書けた。 エディさんと僕ら教え子の、ファミリー絆は永遠です」 (BOXING元世界2階級チャンピオン・井岡弘樹) プロローグ「夢」 第一章 「転落」 第二章 「津軽人」 第三章 「ローマ五輪」 第四章 「アカバロ戦」 第五章 「網膜剥離」 第六章 「エディ・タウンゼント」 第七章 「ドンピン会」 第八章 「ファミリーの戦い」 第九章 「春の風」 エピローグ「21に集った奇跡」 【伝説のボクシングトレーナー】 エディ・タウンゼント 1914年10月4日、ハワイ州ホノルル出身。 プロレスラー力道山の招聘で1062年に来日し、 多くのジムでトレーナーとして活躍。 藤猛、海老原博幸、ガッツ石松、 柴田国明、友利正、井岡弘樹を世界王者に導く。 その他にも数多くのボクサーを手掛け愛した。 1988年1月31日、井岡の世界戦勝利を見届け夜に、 静かに息をひきとる。 【ローマ五輪ボクシング銅メダリスト】 田辺 清 たなべ・きよし 1940年10月10日、青森市出身。 中央大学ボクシング部で活躍しローマオリンピックで銅メダルを獲得。 プロデビュー後は日本フライ級王者を獲得。 名伯楽エディの指導を受けることになり、 1967年に世界フライ級王者オラシオ・アカバロにノンタイトル戦で TKO勝ちし正式挑戦者となるが、タイトル戦を前に網膜剝離を発症。 無敗のまま引退した。プロ22戦21勝1分け。 【著者】 別府 育郎 べっぷ・いくろう 昭和33年、東京都出身。中央大学文学部卒業後、産経新聞社入社。 夕刊フジ、東西社会部を経て、夕刊フジ運動部長、産経新聞社会部長、 夕刊フジ編集局長、論説副委員長、特別記者。 共著に『ブランドはなぜ堕ちたか 雪印、そごう、三菱自動車事件の真相』 『誰か僕を止めてください 少年事件の病理』(いずれも角川書店)などがある。
※2026年7月23日 2:34時点
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