夜行灯がきれいだという話
昔から、暗闇の中にちいさく光る明かりが好きだった。
父親が川釣り好きの影響で、ゴールデンウィークには海よりも遊園地よりも山へ行くのがほとんどだった。
根っからの引きこもり体質だった私は、昼間はだいたい、川のそばにあるキャンプサイトに立てたテントの中で、小学校の図書室から借りてきた本を読んでいた。宮部みゆきのブレイブ・ストーリーなどだ。
テントの入口を開け放せば川沿いの爽やかな風が入ってきて、母親たちがなにか会話をする声と川のせせらぎが混じって聞こえる。
途中で外へ出たくなれば、本にしおりを挟んでテントの外へと抜け出して会話に参加する。今思えば全くもって贅沢な話だ。
日のあるうちはだいたいそんな感じで過ごしていた。
日が落ちきる前には釣りに出かけていた父親もサイトに戻ってきて、皆で夕食を取る。
あたりがぼやけるような黄昏時のころにランタンの火をつけて、そのあとは特に何もせずにゆっくりと過ごす時間になる。
カレーやシチューなどの料理を作るのはカセットコンロだったが、焼き肉や焼きそばなど「焼くだけ」料理はバーベキューコンロの役目だ。
昼間は継ぎ足で高さを確保されていたバーベキューコンロは、夜になる前に継ぎ足を取って、椅子より少し低いくらいになる。
網にクラッカーとかポテチとかを乗せて炙り、おしゃべりしながら食べるのが、シチュエーションも相まって特別おいしく感じられた。
もう少し夜が更ければ、コンロの網が取り払われる。そのころには口数も少なくなって、ぽつぽつと点のように会話が交わされる。人の声よりも、風や流れる川や鳥の声や自然の音の方が大きくなっていく。
そういうとき、川向こうの山を眺めるのが好きだった。
川の反対側は急斜面で、そのさらに奥にそびえる山へと繋がっている。見上げるほど高い山の上の方には、小さく人工の明かりが見えた。行ったことはないけれど多分山中を走る道路だったのだろう。
あたりが暗い中でぽつぽつとちいさく光る道しるべの明かりが、近所のまばゆい街路灯よりもずっときれいに見えた。
それでも、炭が燃えてほとんど火が上がらなくなれば、私の視線はそちらに固定された。
熾火はきれいだ。火が上がらなくても燃えているのには変わりなく、ほのかな風にさえ反応して炭の内側が赤くちらちらと揺れる。
黒い内で揺らめく赤色は、石の中に埋もれ、たった今掘り当てられた宝石のように見えた。
きっと宝石とはこんなにも美しいものなのだろうと思いながら、小学生のこどもはいつまでも飽きずに眺めていた。
幼い頃にこんな体験をしていれば、ゆらめく火や熾火が好きにもなる。本当はキャンプなど行きたいのだけれど、時間や予算の関係でそうやすやすと行けるものではない。
そういうとき、私はキャンドルを利用する。100円均一の12個1セットのキャンドルと、キャンドルホルダー代わりのワイングラスだ。これも100均で購入した。
空のワイングラスにキャンドルを放り込み、導火線を立ててチャッカマンで火をつける。
室内の電気を全部消してPCをスリープにし(または明度を落として)、机にワイングラスを置く。
室内であってもゆらゆらと固定されないちいさな灯りを見ながら、ココアだのカモミールティーだの好きなものをゆっくりと飲むのがいい。
わずか300円(税抜き)のコスパで意外なほどリラックスできるおてがる手段なので、自分がひどく疲れていると思ったときはたまにやるようにしている。
