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わたしの原風景。あの夕暮れの熾火(おきび)が、今のわたしを支えている。

わたしの原風景はこの熾火にあるように感じている


「効率」や「タイパ」という言葉を聞かない日はありません。 かつてのわたしも、その波に飲み込まれ、常に「次は何をすべきか」に追われていました。

けれど、こころが折れそうになったとき、いつもわたしを支えてくれる景色があります。 それは、幼稚園の頃に見た、あの「熾火(おきび)」の赤。

わたしの原点について、少しだけお話しさせてください。

焼けるのを、ただ待つ時間


思い出せる一番古い記憶は、両親と畑仕事をしたあとの夕暮れ時。 幼いわたしは、土や草花、小さないきものたちと戯れながら、剪定した木の枝や枯れ草を燃やす火のそばにいました。

顔が火照るのを感じながら、小枝を投げ入れる。 火が落ち着いてくると、濡れ新聞とアルミホイルで包んだお芋を、熾火の中へ。

あとは、焼けるのを、ただ、待つ。

刻一刻と暗くなる空の色、灰の中から透けて見える炭の赤。 木が爆ぜる音、静まり返った畑の空氣。


「ただ、待つ」ということの豊かさを、あの時のわたしは全身で感じていたのだと思います。


日が暮れて、あたりが暗くなってきた頃。 灰の中から見つけたのは、小さく、けれど赤々とした炭の残り火でした。 その微かな赤に、わたしはただただこころを奪われていたのです。

焼き芋の甘い香りと、ホクホクした熱さ。
中までしっとり焼けた焼き芋は、最高のご褒美。

それは夕飯代わりになることもあったけれど、何よりもその「待つ時間」そのものが、幼いわたしを充足感で満たしてくれていました。

熾火のような「余白」をこころに


なぜ今、あの風景を思い出すのか。 それは、熾火が「目には見えないけれど、芯まで熱を持っている状態」だからです。

瞬発的な成功や、一過性のブーム。それらは華やかですが、消費されるスピードもまた残酷なほどに早い。激しく燃える炎にばかり氣を取られていると、わたしたちは本当に自分を支えてくれる『持続するぬくもり』を見失ってしまうのかもしれません。


本当に人を温め続け、自分を支え続けるのは、静かに、確実に熱を蓄えている「熾火」のような時間ではないでしょうか。

「何もしない」は、最大の自己投資


「何もしない時間」を持つことは、現代において勇氣がいることかもしれません。 でも、効率を捨て、ただ火が消えるのを待つような「余白」を持つこと。 それは、決して停滞ではありません。

むしろ、巡り巡って、明日を生きる自分への一番の投資になる。 わたしはあの熾火から、そう教わった氣がします。


慌ただしい師走、木枯らしが吹き荒む今日。 あなたのこころの中にも、そっと熾火のぬくもりが灯りますように。


あなたには、ふと思い出す「原風景」はありますか?


わたしの原点は、今もこの「熾火」の中にあります。


日々の生活でつい見失いそうになる「余白」のこと、そして自分を整えるための小さな氣づきを、普段はXで発信しています。

もしよろしければ、そちらでも繋がれると嬉しいです。 【https://x.com/yui8musubi?s=21】

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