熾火の時間に、安心感に気づく瞬間
焚き火は、
とても小さな火から始まります。
細い枝をくべると、
火は少し大きくなり、
太い枝をくべると、
また少し大きくなる。
やがて薪が入り、
炎となり、
安定した火へと育っていく。
一度、炎になった焚き火は、
やがて熾火になる。
火にも、炎にも、熾火にも、
それぞれに
大きさ、揺らめき、形、熱量があり、
人はそれを五感すべて受け取っている。
人によって、
「このくらいがちょうどいい」と感じる温度も、
「これは少し強いな」と感じる距離も違う。
熾火は、
すべてを静かに受け止めてくれる。
もっと揺らめきが欲しければ、
そっと息を吹きかければいい。
もう十分だと感じたら、
何もしなくても、
火はそのまま静かに消えていく。
燃えやすくするために、
木にナイフで削りを入れることがある。
それは、
感情の揺らぎを
鋭い言葉で刻み込むことに、
どこか似ている気がした。
熾火になった焚き火の前に座ると、
何も変わっていないはずなのに、
心だけが落ち着いていく。
その安堵感の流れの中で、
私はふと感じた。
ここでは、
何も頑張らなくていい。
何かを考えなくてもいい。
焚き火のあるフィールドは、
自然があり、
ただそこにいるだけで
心がゆるむ場所だ。
焚き火によって、
安堵感のベールに包まれ、
人は、
それだけで安らぎを得ることができる。
看まもりの時間の中でも、
私は似た空気を感じる瞬間がある。
何かをするわけでもなく、
言葉をかけ続けるわけでもない。
ただ、そばにいて、
人の温度を感じ、
静かに見守る。
その時間の中で、
呼吸が整い、
表情が少しだけやわらぐ。
その変化を見たとき、
私は思う。
ケアとは、
何かを「する」ことだけではなく、
安心が続くように、
その場を保つことなのかもしれない、と。
⸻
熾火のそばで、私は自分に戻っていく。

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