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山でキャンプファイヤー

久しぶりに酔っ払っている。
だから、あまり難しいことは書けない。いや、書けないというより、書かなくていい気がしている。

火の前にいると、人間はだんだん説明をやめる。
仕事のこと、将来のこと、お金のこと、健康のこと、子どものこと、会社をどうするか、自分はこれから何をしたいのか。普段は頭の中でぐるぐる回っているものが、焚き火の炎を見ているうちに、少しずつ薪になっていく。

燃えて、煙になって、夜の山へ消えていく。

今日の火はよかった。
きれいな炎というより、ちゃんと生きている火だった。強くなったり、弱くなったり、急に火の粉を上げたり、黙ったりする。まるで、人間の機嫌みたいだ。

火を囲んでいるおじさんたちも、だいたい火と同じだった。
よくしゃべる時間もあれば、急に静かになる時間もある。誰かが薪を入れる。誰かが座り直す。誰かが何かを言いかけて、やめる。
それでいい。
焚き火の前では、会話にオチがなくても許される。

都会の飲み会だと、つい話を盛ってしまう。
仕事の話には成果が必要で、夢の話には計画が必要で、悩みの話には解決策が必要になる。
でも山の夜は違う。
「まあ、いろいろあるよね」
それだけで、だいたい足りる。

火を見ながら思った。
人間に必要なのは、情報だけではない。正論だけでもない。効率だけでもない。
ただ、火を囲んで、同じ方向を見て、何もしない時間が必要なのだ。

たぶん昔の人は、こうやって大事なことを決めていたのだと思う。会議室ではなく、火の前で。議事録ではなく、沈黙で。多数決ではなく、「なんとなく、そっちだな」という身体の感覚で。

山を開拓する。
そう言うと、何か大きな事業のように聞こえる。けれど本当は、山を開拓しているようで、自分たちの中にある古い感覚を掘り起こしているのかもしれない。

庭師がいる。元農家がいる。そして、ただのキャンパーの自分がいる。
なんとも頼もしく、なんとも頼りないチームである。
でも、この頼りなさがいい。完成された組織ではない。名刺で集まったわけでもない。何かを売るために集まったわけでもない。

ただ、火があって、山があって、酒があって、少し未来の話がある。

久しぶりに酔っ払った夜、思った。
人生には、ちゃんと酔っ払っていい夜がある。
何かを忘れるためではなく、何かを思い出すために酔う夜がある。

火はだんだん小さくなっていく。
でも、不思議と寂しくはない。
火が消えたあとも、体の中に少しだけ熾火が残るからだ。

その熾火を持って、また明日から働く。
そしてまた、山へ行く。

おじさんたちは今日も、文明の端っこで、少しだけ原始人に戻った。

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