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#007:小さく、火を焚く

火がついて、最初にすることが、
自分の中ではだいたい決まっている。

手のひらをかざす。
熱を確かめる。
火との距離を、調節する。

それから、水の入ったケトルを、そっと置く。

焚き火という小さな道具ひとつで、
暖をとり、湯を沸かし、煮炊きをして、焼きものまでこなす。

夜の必要は、これでだいたい、足りてしまう。

焚き火と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、
たぶん、大きな揺らぐ炎の方だと思う。

眺めて、ただ過ごす時間。
それも確かに、焚き火の良さのひとつだ。

でも、
ひとりで山に入り、ソロを繰り返すごとに、
焚き火の意味合いは、少しずつ変わってきた。

自分にとっての焚き火は、
見るためだけではなくて、使うというイメージが強い。

暖がほしい時には、強くする。
湯をチビチビ沸かしたい時には、細く保つ。
熾火になってきたら、その上で何かを焼く。

用途に合わせて、火との距離が変わる。
火に近づくのは、その必要があるからだ。

ふと、こんな言葉を思い出した。

白人は大きく火を焚いて、遠くから暖をとる。
ネイティブ・アメリカンは小さく火を焚いて、近くで暖をとる。

出典は、はっきりと覚えていないが、
言い伝えのようにある格言らしい。

彼らのそれは生活で、自分のはキャンプ。
同じにする気はないし、軽々しく重ねるのも違うと思う。

それでも、火の前に座っていると、
ふっと、彼らの遠い時間に、
触れているような瞬間がある。

ただ、火の扱いという一点に絞ってみると、
自分が普段やっていることと、
どこか地続きに感じる部分。

小さく焚いて、近くにいる。
燃やしすぎず、ちょうどよく保つ。

それだけのことが、
火を扱うという行為の、
たぶん本当の中心に近いんじゃないかと思う。

焚き火を扱っていて、
いちばん好きな時間がある。

炎がだんだん低くなって、
薪が黒く崩れていって、
その奥に、赤黒い光だけが残る。

熾(おき)だ。

派手な炎はもうない。
でも、手を近づけると、
はっきりとした熱が返ってくる。

その上に網を置けば、
肉も野菜も、なんでも美味く焼ける気がする。

テラっテラとした、いい熾だ。

ケトルの水も、ぐらぐらじゃなく、
しずかに沸き続ける。

良い熾ができた、と思える時、
なんだか、少しだけ誇らしい気持ちになる。

この感覚は、なんとも言えない。
動画や写真では、たぶん伝わりづらい。

「ああ、いい熾だな」

心の中でそうつぶやく時の、
あの感じだ。

焚き火を扱う人になら、
たぶん通じると思う。

火が小さくなっていく。
パチパチという音も、
少しずつ、間が空いていく。

食事は終わって、
湯はもう一杯ぶんだけ沸かしてある。
あとは、熾が静かに鎮まっていくのを、
見ているだけだ。

大きく燃やさなくていい。
多く使わなくていい。

小さく、近くにいるだけで、
一晩に必要なものは、もう揃った。

熾火の赤が、少しずつ深くなって、
やがて夜に溶けていく。

パチパチも、もう聞こえない。

心地よく、ウトウトしながらも、
薄目でその様子を、眺めている。


🔥 焚き火の後に。
火の前に座る時間は、
彼らと少しだけ地続きになる気がする。


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